PCWatch、山田祥平氏のコラムから、消えゆくShift-JIS、そして世代交代(いゃ、バージョンアップ、ニューリリースと言うべきか)する、PC環境について。私が初めて「パソコン」というか、当時は「ワンボードマイコン」の時代で、表示装置だって7セグメントのLEDが二つとか四つとかの時代。アルファベットを表示させることも難しい時代だったから、テレビの画面(つまり、モニター画面)に文字やキャラクターが表示出来る事を大学に行って始めて見て、「凄いなぁー」と感激したのは今でも記憶に残っている思いで。
もともと英語発祥のパソコン(当時はマイコンか)は、英文字記号しか無かったので、そこに無理矢理カタカナを入れ込んだものを、通称JISCII (Japanese ASCII)と読んでいたけれど、その後感じを入れ込むために結構無理矢理考案したのがShift_JISだったというのが私の記憶。当初は、互換性の問題等で翌表示の文字化けとか、プログラムが異常になる事があって苦労したなぁ。特に欧米系のソフトの場合、制御コードも含むShift_JISの文字列を読み込むとおかしくなるというのは、良くある話。私権ではあるけれど、当時パソコンを利用するのに全く困っていなかった欧米に対して、同程度に普及しつつあった日本が悪戦苦闘していた、というのが1980年代の状況じゃ無かっただろうか。Windowsが登場して、GUI環境も生まれ、さらには世界にパソコンが広がりを見せるようになってくると、日本語表示の開発環境とかがDBCS (Double-Byte Character Set)として、漢字圏やその他のアジア言語に広がっていって現在に繋がるので、その点は当時各パソコンメーカーで日本語化に苦労していたエンジニア達は誇りに思って良いと思う。それぞれのパソコンメーカーに、OSの日本語化チーム(正確には、ディスプレー開発と言うべきか)がいて、それぞれのメーカー版のOS(PC-DOSやWindows)を出していたわけですからね。今のスマホ世代に、「昔の電話機はダイヤルを回して....」と説明するくらい隔世した話し。
昔は、例えば「Readme.txt」とか、ドキュメントもテキストファイルの場合が殆どで、それを表示させるのにいちいちエディターで開くのが面倒だと、DOSプロンプトでTYPEコマンドとMOREコマンドを連結して、1ページ毎に表示させる、何て言うのは良くやった方法。本来のアプリが無くても、中身のデータにアクセスできるというのは凄く重要な事だと思うけれど、最近のリッチテキストではそれもなかなか難しくなるわけで、となると将来的には今テキストファイルに起こりつつあるようなデータ互換性が担保されなくて、例えばWordが開けなくなる、PDFが読めなくなる、なんていうことも起こりつつあるかも。実際、自分の仕事では以前はLotus系のアプリを使っていたので、123のファイルとか、Freelanceのファイルとか、WordProのファイルとか有るわけですが、今ではもう開くことも出来ず、そのまま消去して諦めるしか無い。既に用済みのデータなので、それはそれで問題無いけれど、何か自分の分身の一部が消されるような気がするのは、職業病かなぁ... (笑)。文字だけで無く、パソコン環境、データ環境、ネットワーク環境、デジタル環境、どんどんShiftしていく世の中、せめて乗り遅れないようにはしたいけれど、パソコンはまだしも、スマホとかIoTには一寸乗り遅れ気味なのを、歳のせいにしては行けませんね。もう少し頑張らないと。
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