2018年12月14日

あぁ、勘違い

とある記者会見で、河野外相がロシア対策に関しての記者の質問に四回「次の質問」と無視したような対応をしたという事で、一斉にメディア界隈が「メディア軽視、国民軽視」と騒ぎだし、とあるジャーナリストが「記者は市民の代表、国民を愚弄するな」みたいな事をTLに流してみたら、一斉に袋ただ木に合っているのが、今のメディアを体現しているなぁとホッコリ(マテ)。

全てのジャーナリスト、記者がそうだとは言わないけれど、やはりなんか変な「正義感」を勝手に自分に付加して、自分の行動が正義見たいな事を言う人が多くなったのは確かだと思う。既に突っ込まれているけれど、別に我々が記者やジャーナリストに投票して選ぶわけでも無いわけだし、勝手に「代表宣言」されても困る。強いて言えば、その記者の所属する新聞社の新聞購読者なら「代弁している」と言われても良いかなとは思うけれど、テレビなんかは無料で放送しているわけだから代弁者では無いし、逆に受診診療払っているNHKなんか視聴者を無視しているような所も散見されるし、そう言う意味では真逆のことを言っているしやっているのが今のメディア界隈かと。

何度も書いているけれど、メディアと言う立場はある意味「権力」であり、彼らが翌記事などで叩く「富裕層」的な、優遇された地位・ポジションにいる存在と同等なんですよね。それは金銭的なのだけで無く、その地位を利用して社会的な信用を(有る程度)得られたり、最近では下降しているのかもしれないけれど、金銭的にも恵まれているだろうし。なんと言っても、自社系も含めてテレビなどの全国的にメディアに登場すれば、それは芸能人等と同じような扱いにもなるわけだし。そう言う意味で、それら「メディア富裕層」を監視して必要なら批判するのが、「ネット」という集合知であり、相対的な情報システムなんじゃ無いかと。それを理解していないから、「我々は市民の代表」という言葉も普通に出てくるんでしょうね。

というか「市民」という言葉に凄く違和感を感じるんだけれど。多分英語の"Citizen"からの引用なんだろうけど、それってどちらかというと「市民権」とか「公民権」という、見えない事柄を言うような気がするんですね。彼らが想定しているような、一人一人の人間と言う意味では一寸違う気がする。さらには、同じ文章の中で「国民」とかとも並べて言うけれど、それってまた視点が違うだろう。言葉で仕事をする人なのに、その言葉に疑問を持たれるというのは、よほどその人に能力が無いか、言っていることがおかしいか、そのどちらかだと思うのだけれど。今年の一言として「メディアの勘違い」という言葉を、何処かで選んでくれないだろうか(笑)。

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