先日の「M-1」関して、面白いコラム。私も、最初は見ていたんですが、前半の結構早い段階で「何かなぁ...」と感じて離脱してしまった口。後日、女性芸人のNo.1を決める「The W」も見ていて同じように感じたんですが、その芸を見ている審査員と、会場にいる観客と、テレビを見ている視聴者では芸に対しての「意図」が違うから違和感を感じるんだろうなぁと思った次第。
例えば、昔有った「レッドカーペット」とか「エンタの神様」みたいな、ネタ見せ番組なら、笑わせる対象はテレビの視聴者であり、だからこそ笑い声とかの効果音を付けて、会場の盛り上がりとは別に視聴者を盛り上げることが最優先。ライブならまだしも、録画中継の場合だと、途中編集したりして、兎に角「見たときの印象」を盛り上げることが第一。一方テレビ中継が無い、例えば演芸場とか落語の寄席などの場合は、笑わせるのは会場のお客さんだから、反応を見ながらネタの内容を変えたりアドリブだって入れてくるだろう。その舞台が後から見られることは意識せずに、目の前の何百人という観客の反応が全て。さらに、今回の様に審査番組だと、さらに対象は何人かの審査員の印象に絞られるわけで、正直今回暴言問題で話題になったような、審査員の好き嫌いも出るだろうし、逆に観客の雰囲気に少し流される迎合することもあるかもしれない。それでも、演じている芸人さんとしては審査員の印象第一のはずだし、実際審査員の顔色を演技中見ているかどうか分からないけれど、観客の盛り上がりよりは審査員の表情を見て演じているかもしれない。
そう言う、笑いのターゲットが混在している場合に、メインのターゲットとは異なるターゲット向けに提供すると、ピントが外れることは多々あること。製品開発なんて、その繰り返しですからね。会社内で色々レビューとかテストとかしてみても、いざ市場に出してみたら外れた何て言うことは何度もある。逆に、期待しないで出したオマケみたいな製品が、爆発的ヒットになることも。開発に関わった人に能力が無かったわけでは無く、やはりそこはターゲットをどの様に絞るのか、どの様に判断するのか、そういう所が甘くなると言う事だと思うんですよね。
以前やっていたように、Dボタンを利用して視聴者からダイレクトな反応を集めて判断するのは、それも一つの方法かもしれない。でも、それって、その時の盛り上がりで左右されるから、翌日くらいには旬を過ぎている可能性もありますけれどね。じゃぁ審査員方式が良いのかというと、そこはそれなりに経験を積んだベテランが判断するわけだから、その時の評価は別にして、今後の活躍の指針にはなるかもしれない。そう言う意味では、最後のチャンピオン選出の場面は放送されるけれど、そこまでの決勝進出者は審査員が審査して選出するわけだから、元々そこに出てきた出場者自体が、視聴者の目線・期待とは少し異なった方向性なのかもしれない。最も、笑い何て人それぞれなわけで、それを審査する、優劣付けると言うのが、無粋な行為なのかもしれないけれど。
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