2018年9月19日

DV

女優の樹木希林さんが無くなり、独特の女優・タレント性が惜しまれながら、話題になっているけれど、よくよく考えてみたら彼女と旦那さんの内田裕也氏との結婚生活って、今で言うところのDV、あるいはパワハラの天恵みたいなものだと思うのだけれど、何故か美談ぽく語られるのには納得いかない。

あの時代はそう言うものだった、と言うのは分かっているわけで、そんな何十年も前の話を現在の基準に照らし合わせて批判するのは、正直違うと思う。昔そう言うことがあり、それは現在の価値観にはそぐわないから、今は許されないと言うのなら理解出来るんですけどね。

時代とともに人の価値観、社会の規範は変化していくわけで、それを少しでも不公平の無い、足りない部分は保管し、足りているところは少し遠慮して貰うような「相互援助、互助」の方向性が多分正しいと思うんですよね。そこって、過去の反省はするべきだけれど、過去を引きずってしまうといつまでも未来が見えない。だからこそ、同じ事をしても、有る場合はそれが良い方向に解釈されるし、別の時には悪い事例としていつまでも批判される。時効では無いけれど、一定期間過ぎたら、その事象に関しては「過去の記録の一つ」としてのみ残されて、現在との関連性はそれ以外は考えないようにしないと、いつまでたっても社会の成熟度が進まない気がする。

言ってみれば、有る程度の記憶は残るのだろうけれど、「忘れる」事も大切なんじゃ無いかと。で無いと、自分の人生、つまらないもの悔いるもの残念ものばかりで埋まりそう。

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