2018年8月22日

ストローと割り箸

米国のスターバックスがプラスチックストローを全廃することを発表し、それに合わせるようにして色々なチェーン店でも紙ストローに変更したり、ストロー無しで飲める形状にカップを変更したりと、ストロー削減運動(?)が世界的に拡散しています。元々は、海洋汚染対策として、ストローが海を汚染するプラスチック素材の一つということで注目されたんだと思いますが、それならばストローを無くすのでは無く、海洋汚染になるようなポイ捨てとかを減らすことが重要なのでは。だって、その汚染部室蓮トロー以外にもカップとかビニール袋とかボトルとか、要するに石油系素材の自然に海中で分解されない物全てが該当するわけですから。だから日本では、そう言うポイ捨てによる汚染度合いが低いから、ストロー全廃は不要という意見もあるみたいで、なんだか目的と手段、原因と結果がごちゃ混ぜになっているような雰囲気。

このストロー論議を聞いていて、何か何処かで聞いた記憶があるなぁと思っていたんですが、そうそう10年、20年位前の「割り箸廃止論争」に近いものがあるような。要するに、森林伐採による地球温暖化を防ぐために、無駄に利用されている割り箸を止めて、マイ箸を利用して森林資源を守ろうと言う話と、大筋は同じなのでは。あの割り箸騒動にしても、確かに大量の木材が利用されていることは事実なんだけれど、その材料となる木材は間伐材を利用したり、ものによっては竹林対策で伐採した竹材を利用したりと、決して「割り箸のためにわざわざ木を切っている」わけでは無い。勿論、今でもプラスチック箸は普通に使われているけれど、割り箸も以前のように使われてもいるわけで、今更ながらあの「マイ箸狂想曲」は何だったんだとい思います。

無駄を無くす、自然を守る、それらは大切なことは間違いないけれど、じゃぁその為に今よりもコストを払うことに納得するのか、実は無くすという選択肢の前に、確実に回収廃棄出来る仕組みを作る、ポイ捨てしないモラルを持つ等、実は別の方法だってあるはず。ここまで書いて、いゃこれも何処かで聞いた話だぞと思って思い出したのが、太陽光発電の話ってそんな流れ(スキーム)じゃないか? 再生エネルギーが重要と増やしたのは良いけれど、その分FIT料金は広く薄く(最近では厚くなりつつあるけれど)課せられ、変動の大きい太陽光発電のために、火力発電が難しい運用を要求されるし、さらには乱立した太陽光発電パネルが環境破壊や二次災害を起こしたりと、本末転倒なことも発生している。太陽光発電だって、ちゃん計画して正しく使えば有益な手段になるのに、結局何か新しいスキームを作るという事は、そこに何らかの新しい利権と言うかビジネスも生まれるわけで、そう言う胡散臭さも今回のストロー騒動には感じるなぁ... それだけ、自分の心が曇っている証拠なんだろうか。

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