2018年8月21日

無責任メディア

朝日新聞社が、以前撤回した所謂吉田証言に関しての記事を、日本語版では削除しているのに英語記事に関しては削除もせずに、さらにはGoogle等の検索サービスに登録されないようにmetaタグを操作していた問題。以下略ちゃんのまとめが詳しいけれど、これ例えば食中毒を出したレストランが、その謝罪文を作ったけれど、その謝罪文をお店の奥の目につかないところに張り出して「謝罪しました」と言っているようなもの。

実は、朝日新聞が訂正記事などを出したときに、「どうせこの会社のことだから、metaタグ位は弄っていて外部からアクセスされにくいようにしているだろうな」と思っていたので特に驚きはない。それよりも悪質だと思うのが、その英文記事を一般の日本語記事が掲載される場所に掲載して、朝日新聞サイトの英文記事の場所には掲載されていないこと。英文の謝罪記事にアクセスしてみれば一目瞭然なんですが、記事本体は確かに英文なんだけれど、メニューにしてもその他記事へのインデックスにしても同時に掲載される広告にしても、全部日本の読者向け。最近のサイトでは表示する内容はパーツ化されていて、記事部分のみ差し替わるようになっています。だから英語記事の読者に日本語コンテンツを表示しても意味ないので、英語のメニューなりインデックスなりが表示されるように、そう言うパーツと組み合わせて表示されるようにするもの。仮に今回の様に日本語サイトの中に英文記事を入れてしまうと、たまたまそこにアクセスした英文読者も日本語部分は読めないから誤表示と思って直ぐに移動してしまうことが考えられます。本来なら、ちゃんとアクセスしてじっくりと読まれるべき記事が、外部から検索も出来ない、アクセスもしづらい、アクセスしても本来の記事なのか判断出来ないような状態になっていると、ことごとく隠すことを前提にアリバイのみ主張する目的で準備されたとしか思えない状態。

企業活動で発生した問題を全て同列に批評する事は出来ないとは思うけれど、その企業の最も主要な事業で、その存在意義を揺るがすような大問題が発生したならば、やはり社運をかけてもその問題に対しての対応を真摯に且つ最優先で行うべきなのはどの場合でも同じはず。「新聞記事」という情報を販売している新聞社にとっては、その記事の内容が誤報どころか虚偽で有ったと言う事は、最近発生している検査偽装問題とか、食品偽装問題、あるいはリコール隠しという事以上の問題のはず。それなのに、アリバイ工作にのみ集中して、ユーザーである「読者」に対してはこう言う曖昧な対応でお茶を濁しているのは、「メディア」と名乗る資格すら無いのでは。

多分朝日新聞社としては、このまま無視して独自路線を突き進むんだろうけど、数日前の同紙の「素粒子」に書かれた「報道は「権力の敵」ではあっても、「国民の敵」ではない。」という「敵」言葉に、全てこのメディアの立ち位置が現れている気がしますね。つまり、自分達は悪に対する正義という意図が見え隠れしている。でも、彼らが好んで使うナチスにしても、国民の支持を得ていたわけで、それを煽ったのも当時のメディア。日本の太平洋戦争に至っても、当時の朝日・毎日新聞の役割と責任は大きいはず。結局は、みずから「敵」を見つけて設定して、それに対抗することで自分達の「存在意義」としようとすることが間違っているのでは。それが敵かどうか判断するのは、読者であり国民であるはず。さらに言えば、「敵の敵は味方」という言い方もあるわけで、となると権力と国民が手を握って、報道を叩き潰すこともあるのかも。まぁ、一般的にはそれを「民主主義」とも言うらしいけれど(えっ!?)。

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