シカゴも暑かったけれど、戻ってきた日本はもっと暑い(蒸し暑い)。昨日は岐阜では40度越えとなったようで、もう外に出るのも嫌、呼吸するのもいやという状態ですよね。で、不幸にも熱中症で倒れる・亡くなられた方も多く発生してしまい、どうやってこの気候と付き合っていくのか社会的な問題と言っても良いのでは。その中で「昔は夏は暑いものでクーラーも無かった」という精神論的な意見も出てきているわけですが、それはクーラーの無い社会で生活していたからであって、今のようにクーラーが普通に普及している社会では、やはり学校とか公共施設には導入するべきだし、夏の暑さ対策として日中特定温度を突破したら外出禁止にする位のことは、そのうちに必要になるかもしれない。
日本の気温が以前よりも上がってきていることは事実のようで、昔とは違う対策も必要。それ以上に個人的に感じるのは、自分が子供の頃はクーラーが入っている場所なんて、今は無き地元のデパート「松菱」くらいで、市役所なんかにもまだ無かったんじゃ無いかな。と言うか、バスにもクーラーなんて無いし、列車だって新幹線は安全のため窓が開かないからクーラー完備でしたが、在来線は窓を開けられるからクーラーなんて無かったし。と言うか、私が大学生の頃は、地下鉄車両もクーラー無しで走っていたはず。一部駅では駅冷房をしていましたが、車両は空調設備の大きさ・重さと廃熱が地下道にこもるなどの技術的課題から、搭載されていた車両は無かったはず。だから駅冷房をしている駅に到着すると、一斉に窓を開けたりしたものでしたねぇ。私鉄なんかだと導入されていた車両も有ったかもしれないけれど、クーラー無しの地下鉄は文字通り「蒸し風呂」状態になりましたからね。
さらには、都市化が始まり土の場所がどんどんアスファルトとコンクリートに変わり、緑が減り、水場が減りと、周りの環境も「暑さに厳しい状態」になってきていることも事実。そう言う状況を理解して、「昔は●●だった」的論は安易に使うべきじゃ無いでしょうね。で、クーラーの有無だけじゃ無くて、この時期の屋外活動にしても、具体的な指針を示すべきでは。気温と湿度の状況から、例えば屋外活動は1時間当たり何分以下とか、何十分に一回は日陰や空調のある場所でクールダウンするとか、そう言う指針を出して厳密に守らせるべき。
暫く前に、私の甥っ子家族と出かけたことがあるんですが、途中とある場所でトイレに行ったけれど使わずに戻ってきたんですね。で、理由を聞いたら「シャワートイレじゃ無かった」と聞いてびっくり。今は、一般家庭ならほぼどこにでも設置されているし、公共の場所や人の出入りがある場所にもほぼどこにでも設置されている状況。クーラーの次は、シャワートイレ問題が勃発するのでは無いだろうか(マテ)。
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