2018年7月10日

誰に対しての情報

とうとう100名を超える犠牲者数となってしまった西日本豪雨。色々指摘されている中で、メディアの報道姿勢がいつものように批判されています。その中でも大きいのは、被災地の様子をこれでもかと放送や紙面で写真や映像で伝えること。勿論、被災地の状況を報道して、同様の地域にいる人に対しての知見とか、今後の行動の指針にすることは必用だと思うけれど、どうしたってそれを全国的に放送することの意味とか、実際に今困難に陥っている人を助けることが優先するんじゃ無いかという普通の感情がわいてくるもの。でも、これもメディアは被災者に対して報道しているのでは無く、被災していない人に対して被災地の情報を提供している、と言うスキームを考えれば当然なんですよね。

本来ならば、被災している人の分布情報とか、避難所情報に支援物資の情報。あるいは、天気予報十勝行きの地盤情報とか、今問題に直面している人達が必要な情報を流すべき。でも、実際の被災地では電気は止まっているだろうし、家電だって水に浸って使えないだろうから、通常のメディアにアクセス出来ない。だからこそ、現場を取材しているメディアはどうやったらそう言う人達に必要な情報が届くのか考えなきゃいけないはずなのに、そうで無い人達に向けての情報作りをしている。勿論、それって今に始まったわけでは無く、これまでの大規模災害時にはよく見られた光景だけれど、そう言うことを何度も経験して指摘もされているのに、全く成長の無いメディアがますますレガシー化しているような気がする。

今回は、twitterを始めSNSを自治体も利用するようにしている気がします。避難情報や対策に関しての情報等、幾つかの自治体では首長自らタイムリーな発信をしているけれど、全部が全部そういうわけにはいかない。だからこそ、メディアがそういう所をちゃんと補完しないと行けないはずなのに。今回も、デマツイートにこう言う場所にわざわざ出てきて詐欺まがいのボランティア行為をしたりする団体やグループなど、速くも問題が見えてきていて、それをSNSの力でなんとか防ごうとしているけれど、そういう所こそメディアがプロとして対応するべきなのでは。

一方で、今後のために被災時の様子を記録しておくことは重要だと思います。何が原因だったのか、どう言う事象が発生したのかという事をちゃんと検証することで、今後同様の災害が発生したときの対策にもなるし、それは伝えるべき情報。そう言う意味で現地に取材陣が入ることは否定しないけれど、そこは報道用と記録用の情報ではまた異なることも事実だと思うんですよね。前者はより視聴者の心情に訴える映像が必用だろうし、後者はあくまで物理的な現象とか、現状の様子を記録するだけで正直視聴者にとっては退屈な映像になるだろうし。だからこそ、今の視聴率では無く、将来の為という意識がもう少しメディアにあれば、現在の報道の内容ももう一寸変わると思うのだけれど、多分彼らがそれに気が付いて態度が変わる以前に、SNSで繋がった個人による情報ネットワークが、今のメディアの地位を置き換えるというか凌駕する存在になっている気がする。




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