2018年6月7日

非を認めないメディア

先日、朝食を食べているとき、いつものように付けっぱなしになっているテレビ(TBS系列の地元放送局が朝の定番、夕食時は何故かテレビ朝日系列の地元局が定番)で、財務相が公表した森友学園関連の文書の話題を取り上げていて、見るとも無しに音だけ耳に入っていたんですが、その時のMCが「いずれにしても、何故文書改竄が発生したのか、原因追及をしないといけませんね」みたいな事を言って、思わず朝食を吹き出しそうになりました。いゃ、国会参考人招致で財務相の人達が言ってたじゃん、「野党やメディアが、切り貼りして都合よく使うから関係無い部分は削除した」と。

大体、元々の首相に忖度した云々の話は、改竄前の文書でも改竄後の文書でも全く問題無いことは明らか。振り上げた手を下ろせなくなった野党は、今度は文書管理で攻めているわけだけれど、それはそれとして省庁全体の問題としてやれば良いだけの話し。大体民主党政権時代にも、同様の公文書改竄の話しが厚労省で発生して、当時の長妻大臣は陳謝したけれど、担当者の処分だけで済ませた前歴があるわけだから。逸れもあるし、自らメディアが切り貼りするからと言われたことは隠して、恰も疑惑がまだあるような言い方しかしないメディアも大概だけれど。

先日、とある著名人の記事を見て読んでみたんですが、その中で引用しているのが全て新聞記事で、それを根拠に自分の主張を組み立てていて頭が痛くなりました。いゃ、新聞記事(あるいは雑誌記事)でも、引用することは良いのだけれど、その内容や主張がどうなのか、元の情報に当たること無くそのまま使用するのは不味いんじゃ無い。それらの記事は、既に加工されてバイアスが掛けられた情報なんだから。まぁ、そう言うものの集大成というか最たるものが、テレビのワイドショーだったり情報番組という名前の出来合討論番組みたいなものだけれど。

何度も書いているけれど、メディアは情報インフラがまだ限定的だった時代に、元情報を分類して精査して内容を整理してまとめることで、読者が効率よく情報収集出来るツールとして意味のあったもの。それが、瞬時に大量に生の情報が伝搬されるネットワークが普通に利用出来る時代になってくると、明らかにメディアが使用する「フィルター」が、目詰まりしていたり、特殊な性能のフィルターであることが明らかになってしまった。それだけなら、そう言う特性のある情報と言う事で読者も選別すれば良いだけの話しだったのが、情報を加工したり創造したりするようになり、無いものを「有る」と言ったり、「右」を「左」、「白」を「黒」というようになってしまい、今では信頼性もほとんど無い状態。狭い「画面の中の話」と思えば、それでもいいような気がするけれど、メディアが本当にその存在意義を思うなら、その画面の外に出て正々堂々と主張する事を理解して実行しなきゃいけないと思うけれど。

0 件のコメント:

コメントを投稿