「ご飯論法」何て言うのがあるんですね。例によって出所は、所謂リベラル系の方向らしいから、そんなものが実際にどの程度認知されているのかはあてにならないけれど。で、以下略ちゃんのまとめを見てみましたが、これって要するに質問の中の曖昧な部分を利用しているわけだから、質問者がどれだけ相手の回答の幅を狭める内容を質問できるかにも依存するんじゃないの。極端な話、YES or NOでしか答えられないような質問をすればいいわけだけれど、まぁそんな単純な質疑応答は出来ないだろうけど。
以下略ちゃんのまとめの後半にも登場するけれど、マスコミの報道方法がまさにこれですよね。それって、例えば実際の情報が100有るとすると、紙面とか放送時間の都合で、それを10とか5とか場合によっては1にまとめないといけないから。冗長部分や重複部分を削除しても、多分そんな分量にまとまることは先ず無いだろうから、当然相手の言っている事を記者なりキャスターなりが租借してまとめるんだけれど、そこにはその人のバイアスやフィルターが存在するから、出てきた物が元の情報のエッセンスだけとは言えなくなる。結果的に「朝食は食べた(ゴンでは無くパンだけれど)」という情報が「(何が朝食は定義が無いから)朝食を食べたかどうかは分からない」みたいな伝えられ方になるのは、最近は特に著しい気がする。
特に今回の件に関して言えば、「ご飯論法」以前に、取り上げているモリカケ問題の筋が悪すぎますよね。確かに、無いと言われた資料が出てきたり、改竄されたものが出てきたり、そう言う文書管理と言う点では問題があるけれど、出てきた資料や情報を見れば見るほど、安倍総理に対しての関連性は無い事が分かるし、それなのにそれしか追求しないから相手もご飯論法何て意識しなくても、対応出来ているんじゃ無いだろうか。それこそ、官庁の文書管理の不備とか、国会改革のような事を取り上げて、そこでの問題点をモリカケに投影するならまだしも、最初からモリカケだけを延々やっても、単なる自己満足マスターベーションで終わるだけ。どう言う理由か分からないけれど、先日の党首討論で国民民主党の玉木議員が、これまでのモリカケ一本槍を止めて、外交問題や国会改革の討論をしたという事で、何故か評価がアップして居るみたいだけれど、結局はそう言うことですよね。まぁ、メディアが熱心に取り上げていた以前ならまだしも、今では(個人的には不本意ながら)日大のアメフト問題がトップな訳だし、未だにモリカケを取り上げるのは、TBSとテレ朝の一部番組くらいだし。
「ご飯論法」に擬えて言えば、今は質問者が「朝ご飯食べましたか」「朝ご飯はどうしたのかと聞いているんです」「朝ご飯のことを答えてください」「朝ご飯を食べたんじゃ無いですか」「朝ご飯は食べるに決まってるじゃ無いですか」「朝ご飯を食べないなんて言う事があるんですか」「朝ご飯を食べたんですね」、と延々と朝ご飯のことしか言わない。でも、本当の問題点ご飯を食べたかどうかでは無く、外出したときに戸締まり火の用心をしたのか、財布は忘れていないか、と言う事のはずなんですよね。そこに気が付くセンスが無いのか、知ってて朝ご飯に確執して居るのか、どちらにしても質問者の能力の問題であることは確かですよね。
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