私も以前疑問に感じた科研費の使途目的に関して、国会で取り上げられてそれが「学問の自由を阻害する」という方向に話が進んでいる。私は、年間かなりの金額が提供されている以上、疑問があればちゃんと精査するべきだと思うし、そこに対しての疑問を「学問の自由」という別の理由で否定するのは変だと思う。と言うか、今現在この科研費の議論は、国からのお金(=税金)を使って、反日的な、あるいは反動的な内容の研究や活動に使われているのでは無いか、と言う疑問なんですよね。勿論、幾ら学問の自由があるとは言え、税金を投入するわけだから、そこには有る程度の線引きは必要だと思う。極端な話、今の日本の民主主義を転覆させるような研究にわざわざ税金を出して進めさせることは愚の骨頂だと思う。でも、そう言う時代に合ったときの日本の政治や経済や社会生活の研究をすることは正しいと思うし、但し結果的にそれが悪用されてしまい不利益が生まれることは、それは学問の自由におけるリスク範囲ではあると思う。
個人的に今一番不満を感じるのは、文科省に申請してお金をもらったのに、その内訳というか使徒内容に関してのちゃんとした説明が研究者から出されることが無く、しかし「学問が~」という一点での激しい反論があるだけのこと。以前も書いたけれど、例えば理系の研究の場合なら、何々の機材が幾らとか、これこれのソフトが幾らとか、有る程度視覚化できるものがあり、結果的に逸れ荷の積み上げで正しくお金が使われたどうか判断出来る場合が多いのに、文系の特にこの手の分野だと、殆どそう言う物理的なコストって無いはずで、後は人件費とかそんなものでは。そう言う意味では、既に指摘もされているけれど、本来の研究とは関係無いイベントとかカンファレンスを、このお金で開催してもそのまま通ってしまうこともあるでしょうしね。
だから、今回の科研費の件を問題視するのであれば、まずは費用の支出内容、つまり「利用結果」の説明をちゃんとさせるべきだと思う。その次に、その活動の中で本来の意図や趣旨から逸脱したものは無かったのか、あるいは多分政治的な利用目的は禁止されているだろうから、そう言う事は無かったのか、「利用目的」の説明が必要。で、最終的にその研究結果を評価して、科研費を投入して研究するだけの内容や実績に相当するのか「利用評価」をして、それは次の科研費申請の時の評価判断の一つにするべきだと思う。
今回の件で分かったことの一つに、iSP細胞研究の山中氏も科研費を請求して、それでも4億位の費用なのに、某政治学者は6億もの科研費を受け取っている状況。まぁ、政治学も重要な学問だろうとは思うけれど、これから多くの人の命を救う可能性が大いにある山中氏の研究には、もっと資金を投入することに誰も反対しないのでは。iSP細胞研究所職員の論文偽造問題などあり、正直無関係と言っても良い山中氏まで処罰を受けたりしたけれど、折角日本生まれの大きな技術の核があるのに、それを生かさない政府にも問題は有ると思う。ただ、それ以上に今回の科研費の審査方法や提供先に関しては、凄く暗い闇があるような気がする。
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