2018年5月22日

スポーツの本質と、問題の本質

関学と日大の問題は、タックルを受けた選手の父親が会見に応じたり、今日には日大の当該選手が会見すると言う話もあり、まだまだ混沌としているけれど、少し収束の様子も見えてきた印象。その内容は、もう当事者以外がとやかく言うべきでは無いと思うし、後は学連なり協会がしっかりとイニシアティブを持って両者の話し合いを進める時期だと思う。正直、余りに時間は掛かりすぎたと思うけれど。

で、その問題の本質は本質として解決して欲しいけれど、個人的にそれと同じくらい不満なのが、たまたまなのか何かの理由があるのか分からないけれど、今回のこのトラブルが妙にメディア、特にワイドショー関係で取り上げられ、さらにワイドショーだからか視聴率アップのために、誇張とか歪曲に近いような話をする人が日々登場していること。色々話しはあるけれど、一番多いと感じたのが、アメフトは元々危険なスポーツなので、昔は死人も出たし(これは事実だけれど)、今でも危ない、みたいな説明をしている人達。同系のサッカーやラグビーと比べても、確かにコンタクト具合は激しいけれど、だからこそ100年以上も前からどうしたら安全にプレーできるか改善や改良されているわけで、それがあの特徴的なヘルメットや防具であり、ルールであり、選手交代やスポッターなどのシステム化なわけです。

スポーツなるものを「身体を動かして勝敗を決する行動」みたいな定義をすれば、その動かしている身体には何らかのストレスは蓄積して故障や怪我に繋がる事は事実。さらに、アメフトの様に直接のコンタクトが許されている場合には、その衝撃だって影響する。野球だって、ボールがぶつかれば怪我をするし、打ち所が悪ければ渋滞にだったなるだろうし、コンタクトスポーツと言う意味ではボクシングだって命の危険があるでしょう。だから、今回の最大の問題点は、ルール違反のプレーをしたという事なわけで、それは野球でビーンボールを投げたり、ボクシングで相手を突き飛ばしたりすることと同じ。で、さらに問題は、その行為が本人の無意識の行動では無く、責任者から指示されて従った疑いが大きいという部分。干されていたピッチャーが、監督から相手の四番バッターを出場できなくしろと言われて登板し、その一球目でビーンボールを投げたような場合、「野球は危険なスポーツで、昔は死人が出た」という説明はしないでしょうに。

危険行為、危険度を煽るというのは、穿った見方をすれば当事者の責任をそうやって大きくすることで、ニュースとしての付加価値と言うか話題性も大きくなり、番組で扱うことの利益が生まれるからでしょうね。野球でデッドボールから乱闘騒ぎになることが時々あるけれど、その場合だってニュース等で取り上げられるのはデッドボールになった原因では無く、その後の乱闘騒ぎを面白可笑しく取り上げることの方が多いですから。結局メディア、特にテレビメディアっていうのは、画面で見せる「画」が全てだから、そこにどれだけ視聴者の興味を引きつけて放さない迫力が有るかが勝負ですからね。それ故に、フットボールという日本では馴染みのないスポーツだけれど、画になるスタイルやプレーに、前年も対決した関西と関東の強豪校間でのトラブルで、さらには一方の当事者は大学の理事も務める重要人物等々、ネタとして付加価値を高める要素が盛りだくさんですからね。自分も多少関わりを持つスポーツで、ルールを無視した行為が発生したことが最初は不満であったけれど、結局今はそれよりも、それをネタとして自分達の言いように弄ぶレガシーメディアの行為に、最終的には不満と怒りを感じる。まぁ、それがレガシーメディアの所以ではあるけれど。

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