2018年3月6日

科研費 (2)

昨日の科研費の話、指摘された大学教授の皆さんは一斉に反応するのはいいんだけど、それが罵声に近い物で何時もの事ながら「何だろうなぁ」という印象。成果を求められてお金が出されているんだから、その内訳なり成果物なりをちゃんと示せば良いのに。その内容に対して何か意見を言われたのであれば、それはこうだと説明すれば良いだけの話し何だけれど。それが、税金からの支援を受けた人の義務だと思うんだけれど。そういう意味でも、理系の場合は具体的な成果物提出が基本的に研究開発活動のゴールになるわけだから、凄く明瞭。そういう世界に居る物から見ると、疑問符だらけの世界ですよね、この人達って。

一寸ビックリしたのは、この科研費って、ある意味身内で決める仕組みになっているようだという事。研究を申請すると、特明の形で審査されて、その中で指示された物が多い順に採択されるらしい。で、その審査する側の人生もブラックボックスに近いらしいけれど、特定の方向性を持った人が多ければ、そういう傾向の物が多く採択される傾向が生まれてくるでしょうね。ノーベル賞って、過去の受賞者なども含めた世界中の研究者・学者から推薦されて決まるそうで、そういう意味では過去数多く受賞者を出している国は有利で、そうで無い国は不利という事も有るらしいけれど、それをもっとバイアス掛けた状態になっている気がする。それでも、過去の履歴が残されているから、今回もその傾向なり内容なりを第三者が調べることが出来るけれど、それすら無かったら本当にブラックボックと言うよりブラックホールと言う方が正しいのかも。暫く前に奨学金の未返納の話が出ていて、個人的には大多数の人がちゃんと返済している以上、未返納は許されないと思うけれど、それでも返済義務無しの奨学金とか本当に必要な人にはもっと届く仕組みが必要。科研費を削って、そういう方に回す方が意味があるのではと思ってします。

もう一つ思うのは、大学としてもそういう「お金を取れる教授」は便利だし優遇するだろうし、それって文科省からの天下りにも繋がるのでは。そういう意味では、例えば三回科研費を受け取ったら、3年間は資格を保留するとか、四回目以上の申請には、過去の仕事の成果を示す(著名論文誌に掲載されるとか、引用回数が一定数以上あるとか)等のクライテリアを儲けるべきでは。そうすれば、新しい分野なり新しい人にも回るお金が増えるだろうし、成果にしても客観的に評価される機会も増えるだろうし。と言うか、当然支給されたお金の使途はちゃんとエビデンスを受け取っているんだろうか。その活動内容の成果も勿論評価されるべきだけれど、其れ以前にそのお金の使い方に不信があるから説明しなきゃいけないのに、それに対しての回答が「外野は黙っていろ」的な反応しか無いと言うのはちょっとなぁ。

人間、痛いところ、後ろめたいところを疲れると過激に反応すると言うけれど、本当それに近い気がする。そういう意味では、今森友学園の書き換え問題で野党が追及して居るけれど、直ぐに自分達はそれ以上の書き換え事件を与党時代に起こしており、その時は減給で幕引きされたことがブーメラン証明されたけれど、そう言うことがあるから彼らは人一倍過激に版の等しているんだろうか。与党をせめるネタは、何時も新聞記事とか週刊誌報道というのも、能力不足以前のような気がするし、その追及能力にしても「無いなら無いことを証明せよ」と言うだけ。いゃ、貴方たちが決定的な証拠を突きつければ良いだけじゃ無いの。で、昨日も近畿財務局へ乗り込んだらしいけれど、そういうテレビ映りだけは気にするんですよね、この人達は。東京で国会をやっているのに、わざわざ大阪に行く暇があるなら、もっと経済とか社会保障とか、話し合わないといけないことは幾らでもあるだろうに。本当に野党って暇だしお金もあるんだろうけど、成果物は何一つ無い。何故か、今回の科研費の問題にオーバーラップしていくのは気のせいだろうか。

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