2018年1月18日

都合の良い言いがかり

数日前の記事だけれど、昨日発掘されて話題になっていた記事。自分の面会要請を断った日本政府は怪しからんと言っていたICANのフィン事務局長が、先に訪問していた広島での対話集会で、「(日本政府は)世界社会から足を踏み外した」と批判し、さらに被爆国なのに核兵器禁止条約に反対している日本は「広島、長崎以外で同じ過ちが繰り返されていいと思っているのではないか」と、自身の無責任な思惑を主張したもの。

別に、世界中の国の中で日本だけが反対しているなら彼女の主張も正しいのかもしれないけれど、全ての核保有国も含めた多くの国が反対や批准をしていない状態も「世界社会から足を踏み出している」と言うのだろうか。さらに後者の言い分は、言いがかり以前の酷いもので、日本政府も含めて殆どの日本国民は、可能であれば広島、長崎への被爆だって防ぎたいと思っているはず。

既にあちこちで指摘されているけれど、こう言う言い方や態度というのは、捕鯨反対のシーシェパードとか、反原発で再生エネルギー主導の色々な団体とか、そういう類の団体やNGOと凄く似ている気がする。被爆経験国だから先頭に立って核廃絶を訴えよという言い分は、一見正しそうな気も感じるんだけど、被害者に対して矢面に立てと言うのは、その被害者の気持ちを考えない要求では。百歩譲って、広島なり長崎の被爆体験者とか関係者が言うなら、まだ分かる。でも、それらの人達とは関係外国の人間が、わざわざ日本に来て、しかもノーベル賞受賞以前には殆どメディアにも取り上げられず知られなかったような団体が、何で急に受賞後は日本を嗾けるようなことを、しかも日本を半ば非難しながら主張するのだろうか。本来ならば、彼ら団体が核廃絶に関して努力して成果を出し、それを持って日本の被爆者に対して「我々はこれだけの成果を上げた」と報告するのが筋じゃ無いのか?

さらにこちらのTBSのニュース記事では、多分同じ席上での発言だとは思うけれど、被爆国の日本には核兵器廃棄を訴える禁止条約に参加する道義的責任がある、とまで言ったそうだけれど、それは違うだろう。被爆国である日本だからこそ、本当に核兵器廃棄が可能な方法手段について選択する権利があるわけで、現状の条約に不足があると日本が考えるから参加しないという現実を、逆に彼らは真摯に受け止めて反省して条約に反映する「道義的責任」を持っているんじゃ無いのか。核兵器廃棄の方針や方法を彼らが訴えるのであれば、先ずは今核兵器を持っている国々に対して、まずは遡及して結果を見せるべきじゃ無いだろうか。「NGO」の中には、勿論立派な活動や結果を出しているグループも多いとは思うけれど、「NGO」と聞くに何か胡散臭さを感じてしまう理由の一つを見たような気がする。

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