朝日新聞の「森友・加計報道」に「ジャーナリズム大賞」なるものが与えられたという記事。この大賞は、新聞労連が「平和・民主主義の確立や言論の自由に貢献した記事を表彰する」ものらしいけれど、もうね、開いた口が塞がらない。
森友学園問題に関しては、確かに籠池氏に振り回された近畿財務局が拙速だったところはあるだろうけど、いろいろと曰く付きの土地を売却して、固定資産税として利益を生むものに変えることは悪いことでは無いはず。実際、朝日新聞の築地本社だって課なり安い金額で売却されていることは周知の事実。さらに言えば、加計学園関連は完全に元文科相事務次官の前川氏と握った朝日新聞の「創作記事」とでも言って良いようもので、結局一年近く騒いだけれど、何も確証は出てこないし、別件で小川栄太郎氏とのやり取りでは、「朝日新聞はモリカケ問題で安倍総理が関与したとは報じていない」と説明しているらしいけれど、それなら何に対しての追求だったの > 朝日新聞
この手の「何とか大賞」とか「○○賞」なるものって、近年急速にその権威を落としている気がするのは気のせい? どう言う選考基準で選抜されるのか分からないけれど、その選考基準は一見それらしいことを言っていても、それを評価する選考委員がどういう人なのか分からないので、その基準が遵守されているのかすら分からない。今回も新聞労連が主催しているらしいけれど、と言う事は現政権に対しては否定的な立場で有るから、当然そういうバイアスは含まれると考えるべき。具体的な「成果」を判断しやすい科学系の賞であっても、そのタイミングやその時の状況で優先順位が変わる場合だって有るわけですからね。それを考えると、そういう定量的な判断基準すら無い人文社会系の評価なんて、もうその時の運か意図的な要素によるブレで決まるとしか思えない。
例えば、せめて10個位の候補記事をリストして、そこにそれぞれの新聞読者が投票するとか言うなら、まだ納得も出来るけれど、それだって組織票とか有るだろうし、ある意味「お祭り」的要素を否定出来ない。結局は、メディア自体が本来の「事実を伝える」事から、変な使命感に燃えて「真実を伝える」という力を誇示する立場になろうとしていることが一番の問題だと思う。新聞とかテレビ等の既存メディアに対して、ネットでの情報がそれらを凌駕しつつあるけれど、それってやはり素の情報がまだストレートに拡散されるからだと思う。勿論、個人個人が勝手に発信出来るから、意図的か不注意かは別にして、意図的な情報も多いことは事実だけれど、より情報拡散の本来の意味を考えるならば、途中にフィルターやバイアスの存在が少ないだろう、ネットの方が今は指示されることに既存メディアは気が付かなきゃ。まぁ、だからこそ、こう言う自慰行為的な権威付けが必要なんだろうけど。
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