2017年10月20日

野次の意味

朝日新聞の選挙関連記事(コラム)を読んで、もう最初の1行目でそっと画面を閉じました(笑)。
街頭演説にヤジはつきものかと思いきや、...
何で街頭演説には野次がつきものなんだろうか。政治関係に限らず、その人が公の場所で自分の意見なり主張をするのであれば、少なくとも話の区切りが車ではしっかりと聞いて、その上で「野次」では無く「意見」なり「反論」として相手に伝えるべきなのでは。そりゃ、不特定多数の聴衆相手に演説すれば、途中で何か混ぜっ返したり非難の声を入れてくる人もいるだろうけど、それはあくまで突発的な事象であり、決して認められていることでも推奨されていることでも無いはず。これが許されるのであれば、力のある勢力ある大政党が「野次隊」を組織して、他の勢力で弱いところに派遣してやじり倒しても良いことになる。でも、それを与党がやれば「言論弾圧、政治軽視」とか言い、野党がやれば「政権批判、言論の自由」みたいな事を言うんですよね、このメディアは。

若干好意的に考えれば、言ってみれば「街頭演説」は双方向の議論なわけだから、聴衆からの反論=野次、と言う事を言いたいのかもしれない。でもそれって、これまで一方通行自分達の主張を振りまくだけで責任を果たしてきたと考えている新聞メディアの誤解では。だから最近のようにSNSが発達して、自分達がこれまで出しっぱなしで通っていた意見に対して、色々な形で反論されると対応出来ない。逆に、それらを無視する、弾圧と言う、フェイクと言う事で正当化しようとする様子は、滑稽さを通り越して惨めにも映るんですけどね。

さらに言えば、ここで言っている「野次」は、その弁士の意見に対して反論とか批判とかですら無く、単に政権が気にくわない、何でも反対したいと言う人達が演説を妨害する目的でしているもの。選挙妨害にも等しい行為を「つきもの」とか言ってしまう、大手メデイアって、何の意味で「大手」なんだろうか。

選挙期間中は候補者や政党に関しては公平に扱わないと行けないから、テレビや新聞などの記事でもそれぞれ平等に扱うわけです。勿論、中には最後にアリバイ作りみたいな形で紹介される場合もあるけれど、まぁ候補者名は全て明示するわけです。その中出、それぞれの主張も限られた時間内ながら、公平に扱うこともやっています。でも、何故かこの街頭演説に関しては、その演説を妨害することを「是」とする発言をしている。公明正大を旨とする公のメディアであるならば、先ずはそれがどの政党だとしてもどんな候補者だとしても、先ずはその意見を聞け、と言うべきでは。その上で、自分達の主義主張と異なる部分疑問があるなら意見するなら質問すればいいわけだし、比較検討するためにも先ずは意見を聞くことを最優先しないと行けないはず。それを敢えて自ら破る「メディア」をメディアとして扱って良いのだろうか。それって単にある勢力の宣伝部門でしか無いと思うのだけれど。

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