2017年10月25日

後の祭りの、れば、たら

選挙後も色々なメディアで与党大勝野党惨敗の話題が続いているけれど、その中で「野党一本化なら、63選挙区で逆転」という記事。でも、そもそもの野党一本化のために民進党は希望の党との合流を狙ったわけだし、希望の党はそれによる主導権を失うことと批判的な部分の取り込みを嫌がって移籍を制限したわけで、元々出来ない想定をしても、それも選挙後にやっても意味が無いもの。そんなことを言い出したら、例えば与党側だって競合した選挙区を調整したらとか、幾らでもシミュレーションして話が出来る訳だし、でもそんなことは結果が出た後では無意味な話。例えば、衆議院選挙があって、直ぐに参議院の改選があるとか、その逆の場合に先の選挙の情勢分析をするというのならまだ分からないでも無いけれど、次の参議院選挙は一年以上先なわけだし、その時には少なくとも今ある野党の幾つかは消滅している可能性すらあるわけで、そういう意味では敗因分析するのは良いけれど、「ああしたら、こうであれば」という「れば、たら」の話をしても駄目。

じゃぁ、どうしたら野党勢力がそれなりの存在意義を見せることが出来るようになるのか。個人的に思うのは、やはり真面目に政治をやることしか無いと思うんですよね。その最たる話が「モリカケ事案」。まぁ、最初にとっかかりとして取り上げるくらいは良いと思うけれど、調べてみて筋が悪いことくらいは普通に考えれば分かる話で、その時にはスッパリ諦めてもっとまっとうな話をするべき。アベノミクスが失敗と言うのであれば、エダノミクスでもユリノミクスでもいいから、ちゃんと実現可能な話をして示せば良いのに、そんなことはやらずに飽きもせずに「モリカケ」ばかり。

政党がそういう状態ならば、その監視役であるはずのメディアが「一旦立ち止まり頭を冷やせ」という事を本当は言うべき何だけど、政党以上に与党叩きに集中して、こんな「れば、たら」を嬉々として記事として配信してしまうところに、末期症状さを感じるわけですよね。仮に野党よりのメディアであれば、現有勢力の中でどうしたら効果的に与党に対して意見集約出来るのかとか、野党の主張の中でも優先順位を示して実現可能性を高めるとか、そういう作業がメディアとしての本文だろうし、読者・視聴者に対しての義務だと思うんですけどね。

何度も書いていますが、既存メディアはこれまではある意味で「唯一無二」の存在であって、彼らが発信配信する情報が国民にとっては全てだったものが、最近ではネットやSNSの普及でメディアの提供する常用も「それら多数の中の一つ」でしか無くなっています。とは言っても、情報量や内容に関してはまだ一日の超があるわけですが、それすらも「情報の信頼性」という根幹の部分が揺らぎだしていて、メディア離れがどんどん加速している。最大の勘違いは、狩られメディアが「真実を伝える絶対的な存在・正義」みたいな意識に凝り固まっていること。それは大きな間違い、勘違いで、本来のメディアの仕事は「事実を正確に伝えること」だけのはず。それを見聞きして判断するのは、国民一人一人の義務なんですよね。そうであれば、「れば、たら」なんて言う話は出てこないはずで、「です、ます」という話が中心になるはずなんだけど。

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