暫く前に、関東大震災での朝鮮人虐殺の話が再び話題になりました。正直なところ、もう100年近くも前の話(関東大震災: 1923年)がなんで今頃再び取り沙汰されるのか理解出来ないけれど、慰安婦問題とかと一緒で、それを利用する人達がいるんだろうなというのが正直なところ。当時としては未曾有の大災害の時で、かつ今ほど情報システムが完備されていたわけでも無く、さらには韓国併合(1910年)後、ある程度の時間が過ぎて、朝鮮半島から日本へ色々な目的で流入してきた人が多かったことも事実だろうし、まだ近代化黎明期の日本で混乱が起こりやすい状況だったのは確かでしょうね。だから、ちょっとした切っ掛けで、不安や疑念が増幅されて、一気に爆発する事態になったというのが、大まかな事実じゃ無いだろうか。一つ二つ理由では無く、色々な複合的な理由があったと思う。
で、なんでそんなことをまた描きだしたかというと、先日の沖縄での事件。集団自決の洞穴「チビチリガマ」が荒らされた事件が発生したときに、一部の人達は一斉に、やれ今の政治がとかヘイトクライムがとか差別がとか発言しだして攻撃を始めたけれど、いざ犯人が捕まり少年達の肝試しが原因と分かると、あっと言う間に無かったことにしているのか訂正も謝罪も反省も無い。あぁ、こうやって誤解や対立が生まれて醸成されて、ある時に一寸した切っ掛けで暴発するんだなと言う、何かシミュレーションを見ているような気になりましたねぇ。
質が悪いのは、現在の情報社会になり、SNS等のプライベートメディアを通じて大手メディアの情報と比較検証出来るようになった半面、SNSからのノイズも大きくなり、ある時にはそれが「情報」として拡散されてしまうことも多々生まれるようになったこと。また、プライベート故に、発信したらそのまま、訂正も説明も無く、良くても削除するだけなんだけど、そのコピーは星の数ほどネットの中に既に散らばってしまい、それが「真実」として扱われることも。社会情報システムの情報量は大きく拡大したけれど、それに応じて情報の質も変質して言っていることを理解しないと、自ら間違った前提や理解の上で行動することになり、それが予想も付かない大きな痛手を現実社会に生むことになる時代になったと実感します。所謂「情報リテラシー」の中身が、どんどん複雑化してかつ広範囲になってきている時代にどんどん加速しながら拡大している、と。
先日の北朝鮮のICBM発射に関しても、加計学園などの国内問題隠蔽のために安倍政権が北朝鮮をわざと挑発してミサイルを発射させているなどと言う大学教授がいますけど、この程度で大学教授の仕事が勤まるなら、定年後自分もやってみたい(笑)。まぁ、この教授だけで無く、他にも似たような人は沢山いるし、大学教授だけで無くメディア関係記者関係に多いような気がするのは気のせいだろうか。なにか、自分に酔っている心酔していような不気味さを感じるんですが。なにかの切っ掛けで「これは、こう」と思い込むと、それが「正義・真実」と信じ込んでしまい、それに対して反する物事は端から信じなくなるんだろうなぁ。都合の良いことばかりを受取、都合の良いようにしか解釈しなくなり、その結果元々決まっていた回答はぶれないけれど、回りの世の中からはどんどん乖離していくような。そういう、人の意見に聞く耳持たない人達が、自分達の意見を聞けと要求していることの矛盾って、彼らの中ではどう昇華されているのか、一度聞いてみた行きもするけれど、多分不毛なまま終わる気がする。「思い込み」っていうのは、よほど自分自身が痛い目に遭わないと目が覚めない物のような気がするけれど、彼らにとって何が起こってもそれは彼らの言いようにしか解釈されないことだからなぁ。本当に、寂しい人達だなと感じます。
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