2017年9月17日

後ろから鉄砲玉

河野太郎外相のブログに掲載された「後ろから鉄砲玉」と題された記事。なかなか刺激的なタイトルだけれど、内容は先日のジュネーブ軍縮会議での高校生平和大使の扱いについて。当時の新聞記事などでは、政府側がこれまで行われていた高校生平和大使の演説を今年は取りやめたと否定的な意見の内容しか記憶に無かったけれど、その背景が説明されている。国際会議を成立させるために、名を捨てて演説は中止したけれど、それとは別に代表が発表して色々な意見交換出来る場を別に設定していたんですね。前半の話は記事にも書かれていたけれど、後半の話は初めて聞いた。

確かにこれまで許されていた発言の機会が今回与えられなかったことは問題と考えるのであれば、その理由を先ずはちゃんと声明するべきだし、さらに言えばそこで終わったのか別の対応があったのか、最後まで説明するべき。それがブログにも書かれているメディアの仕事で、それを良しと判断するか駄目と判断するかは読者の仕事のはず。最初から、記者なりメディアが答えを決めていて、それに合わせて内容を調整しているから、情報が桁状態でしか提供されていない。それが「国民の代表(自称)」のすることなんだろうか。勝手国民の権利を奪わないで欲しい。

アメリカのトランプ大統領がその最たるものだろうけど、これまで情報元からメディアと言う一つフィルターを通して伝えられてきた者が、最近ではその情報元から直接発信されることもあるため、両方の情報を比較して判断出来るようになってきました。勿論、その情報元も発信した後に「あの話は」と発信するから、本当の意味ではオリジナル情報では無いけれど、かなり信頼性は高い。そこで、そのメディアが掛けているバイアスが明らかになるんですが、それが一回とか二回なら、たまたまという事も考えられるけれど、常にそういう傾向にあるとなると、そのメディアの性格と言う事も分かってくる。別に左とか右とかでも構わないと思うけれど、そこには納得出来るだけの理由が欲しいですよね。そんなものは無くて、単に安倍憎し、自分が正義みたいな事しか言わないから、メディアの記事なのか組織のプロパガンダなのか訳が分からない発言しか出てこなくなる。

この記事にも登場する東京新聞は、最近では記事の内容紙面の内容よりも、官房長官会見で「活躍?」する望月衣塑子記者の方が有名だけれど、そんなことで良いと思っているんだろうか。駄々をこねている子供がそのまま新聞記者になり駄々をこねた記事を書き、それを見ている新聞社も駄々をこねた子供状態を良しとしているようにしか見えない。今は後ろから鉄砲玉を売っているつもりなんだろうけど、そのうちにさらにその後ろから今度は鉄砲玉を打ち込まれることになりそな気がする。

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