2017年9月2日

蒸し返し

すでにTL上で盛大なツッコミ大会となっている、朝日新聞の9月1日「防災の日」の社説。ここでは、デマが拡大して朝鮮人(当時)、中国人の虐殺が発生したという言い方をしているけれど、当時のメディアはこの朝日新聞等の新聞メディアと跡はラジオしか無いような時代。SNSもインターネットも無い時代に、その情報流通の殆どを握っていたこれらのメディアが、今はまるで他人事のように当時の惨状を批判するのは、それだけ自分達の「罪」を歴史から消し去りたいが故に責任を他者に押しつけようとしているようにしか思えない。

不思議なのは、震災から94年も過ぎているのに、これまで以上に何故過去の話題が持ち上げられていること。例えば、これが90年とか100年とかいう節目の時ならまだしも、94年という中途半端とも言えるようなタイミングというのが解せない。勘ぐれば、慰安婦問題が沈静化し、徴用工問題も分が悪いとなったことで、第三の材料である関東大震災時の朝鮮人虐殺を取り上げだした、とも思えてしまう。彼らが言う「6000人の犠牲者」というのは、当時の在留者が5000人と言う事を考えても、余りに疑問な人数だから、その時点でもう眉唾物にしか感じられないところ。現実的には、多分罪も無くデマから殺害された人もあったと思いますよ。情報の無い時代に突然の大災害に見舞われて、疑心暗鬼がどんどん拡大していくうちに、ちょっとした事が火種になって広がっていくことは十分想像出来ること。一方で、そういう行為を制止する記事も当時の新聞には掲載されているし、実際警察などに保護されたという話も以前からちゃんと出ている。

この件に限らず思うのは、震災後94年と言う事は、多分当時生まれたばかりの幼児も入れても、殆どの人はもう物故して居る状態。実際に被害に遭った人が、その償いなり謝罪を求めて運動するのであれば理解出来るけれど、仮にその家族とか親戚としても、間接的な関係者が今更何かを求めて活動するのは、実は本来の謝罪とか償いとか言う目的は別の目的のためにしていると思われても仕方ないのでは。最も、未だに徳川家康の朝鮮出兵の反省と謝罪を求める国柄だから、94年なんて本の昨日の話なのかもしれないけれど、それは彼らの理屈で有り日本は日本の理解があると言う事もちゃんと言うべきでは。勿論、当時の被害者の方には哀悼の意を尽くすべきだし、そう言うことがあった事実はちゃんと記録していくべきだと思うけれど、それとこのような政治的色合いの強い活動を今することとの関係性は理解出来ないところ。

個人的に思うのは、メディア自身が当時の自分達の報道内容をちゃんと公開して、先ずは自分達が起こしたこと、伝えたことの真偽なり反省を行った上で、だから今こう言う事が必要と言うのであれば、それは理解出来る。でも、当時のことは無かったことにして、今だけ良いかっこ強い正義の味方のように「怪しからん」という事を伝える大手メディアの厚顔無恥な態度は、もはや「メディア」と言うよりも「アジテーター」とか「プロパガンダ」とでも言った方が適切な気がする。戦争責任に関しても、当時の指導者の責任が大きいことは確かだけれど、情報の流通者としてメディアが重要な役割をしていたことも事実。彼らの説明責任こそ、今問われることじゃ無いだろうか。

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