新党設立をぶち上げて、嫡々との自分のキャリアプラン作成にいそしむ小池都知事。衆議院選挙直前に都知事を辞任して、自ら国政に再登板を図るという話がまことしやかにされているけれど、本当にそうなったら都知事選の時のあの発言の数々はどう説明するのだろうか。と言うか、都議会選の直後に「都政に専念するために」という理由で都民ファーストの会の代表を辞任していたはずなのに。
彼女としては、やはり来年の中盤くらいと考えていた衆議院選挙が突如前倒しされたことで、やはり自分のプランが化なり狂ったんじゃ無いかと思いますねぇ。あくまで個人の憶測だけれど、年内に豊洲問題に一定の道筋(と言うなの、自分で決めた勝手なプランの発表)を付けたら、年明けくらいに知事を辞任。新党を設立して、夏の衆議院選挙突入、と言うのが元々描いていたプランじゃないかと。若狭・細野両氏が新党の設立準備を始めたのは予定通りだったと思うけれど、来年に掛けて政党としての準備を進め、その間に話題性を集めて認知度も上げて、で最後の駄目落としては自らが降臨する事で、さらに話題性を集めると言う筋書きだったんじゃ無いだろうか。ところが、新党立ち上げ準備を始めたところで旧に解散が決定的になり、これを逃すと次の選挙はさらに数年先になるわけで、となると小池としては時間が無い。そこで旧にタイムテーブルを繰り上げて一気に勝負に出る決断をしたように感じます。
これを普通の人がやれば批判の嵐になるんだけど、兎に角マスコミ扱いの上手い人だからその当たりはお手の物。でも今回は、流石に無理があるような気がするんですけどね。一番無理があると感じるのは、民進党からの離党ドミノの入党。多分ある程度民進党からの離党組を取り込む予定は持っていたと思うけれど、それは細野氏に近い人達なり自分のコントロールが利くような人を想定していたんじゃ無いだろうか。新党で人の数は集めたいけれど、かといって負のイメージが大きい民進党からの議員というのはリスクも大きいだろうし。日本の心の合流は、ある程度予定していたような気がしますね。ここが資金源となりある程度の活動資金を入手することを考えていたんじゃ無いだろうか。場合によっては日本の心をに参加する形にして、党名などを変更するくらいのことを考えていたのかもしれない。
このタイムテーブルの変更は想定外だったことはあると思うけれど、逆にメリットになったのが、これで民進党が浮き足立って、代表選が終わったばかりなのに離党ドミノが始まったかと思ったら、今度は民進党の「解党論」まで出始めてしまったことでしょうね。一時は与党にもなった政党が、野党に戻って3年程度であっけなく空中分解するというのは、やはりこの政党自体が元々脆弱だったこと、未熟だったことの証明でもあるんでしょうね。そういう意味では、それでもあれだけの準備期間を経て与党になった民進党ですらこう言う体たらくなんだから、昨日今日出来たばかりの新党に至っては...
いずれにしても都知事と国政の並行活動は、都知事として問題になるだろうから、そういう意味で「リセットして自ら代表になる」と言ったと思えば、あぁやっぱり彼女は都知事は腰掛けで、再び国政を目指して、さらにはトップを目指して進むんでしょうね。でも、そういういかにもと言う行動の人がトップに立つというのは、それこそ安倍政治以上の独裁政治の始まりのような気がするんだけれど。
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