2017年8月3日

入閣予定者

今日予定されている、内閣改造。8月3日の内閣改造が言われ始めてから、留任、入閣の話しがすこしずつ大きくなってきていて、ここ数日は誰それが初入閣だとか、誰それが留任するとか、そういう話題が中心に。議員選挙ならば、複数名の候補の中から当選する人・落選する人が決まるので、事前の出口調査とか投票動向等を調べて予想することは、まぁそれなりに意味があると思うけれど、安倍首相の考え一つで、しかも誰がなるのか候補者だってまだ分からない状態で、誰々はどうなるというのって意味があるのだろうか。例えば、直前に辞任した防衛省の新しい大臣は、誰ならあるいはどんな資質があれば適任だ、と言うような話ならまだ分かります。また、問題になっている文科省の大臣にしても、経験者未経験者含めてどういう人が適任で、その許認可権も含めてどんな対策が必要か、と言うような話が盛り上がるなら分かる。でも、メディアの注目は、誰が外れるのか、誰が新入閣するのか、言ってみれば当たり外れの話ばかり。

メディアにしてみたら、例えば外交の問題点とか経済の課題などを列挙して、その解決のためにどんな方法が必要でその為にはどんな人材が必要という話は、正直視聴率にも販売部数にも繋がらない。それよりも有名な議員の名前を出して、この人がどうなる、ああなる、と言う話の方が受けがいい。政治的な資質の判断では無く、国民の好き嫌いを理由に、その政治家の能力を評価するのって、AKBの国民投票でメンバー決めるのと違いが無いような...

二回りくらい昔までは、内閣改造時期になると各派閥から「入閣希望者」みたいなリストが出てきて、大きな有力派閥の場合はその人のポジション(外相とか)まで付けて総理に渡されて、そこから選ばれたもの。それに比べれば、小泉政権からの、派閥無視、適材適所での組閣というのは、ある意味正しいし良いことだと思います。ただ、それまでは責任を持って人選をしていた派閥の裏付けが無くなる分、所謂「背景調査」も官邸自らやらないといけないわけで、その点小泉政権時代の飯島補佐官のような存在が今の安倍内閣には内容な気がしていて、それが過去の不祥事トラブルに繋がっている気がするけれど。

いずれにしても、正式に発表されてもいないことに関して、自分達で決めてああでも無いこうでも無いと批判するのはどうだろう。勿論、幾ら最近のメディアとはいえ、それなりに事前取材や周辺取材をしてそれなりに確度の高い情報は得ていると思うけれど(それでも予想で外した大手メディアが有ったみたいだけれど)、まだ決まってもいないことを前提に話をする事って、ある意味で「フェイクニュース」「偽装ニュース」ですよね。「誰々が何々の大臣になるとこれこれのことが起こる」という話は、それ自体は不正ではないけれど、誤解を招く情報を視聴者・読者に与えるという意味では「フェイク」で有る事と同じ。それならば、改造によってこれまでの政策とか行政が変わる可能性が大きくなるわけだから、現時点で存在している、それぞれの分野での問題点や課題を挙げて、それを内閣改造後の大臣や担提あるいは期待する目標設定として広く批評することが、メディアとしての役割でも有り、結果的に国民の利益にも繋がる事になるのでは。問題なのは「誰がなるのか」ではなく「何をやるのか」ということなんですから。

そう言う意味では「女性大臣だから」「未経験だから」という言い方も問題なわけで、特に日頃は「男女平等」をうたいながら、こういう時だけ「女性」を批判するのって、ダブルスタンダード以前の話しだと思う。総合的に、女性の登用とか社会進出が男性に比べて少ない、劣っていることは事実で、そう言う意味では最終的には男女同条件にするべきだと思うけれど、準備・助走期間である現在においては女性に対しての多少のバイアスを掛けるのは仕方ないかな、と。大臣という要職で、勿論結果を出すのが仕事ではあるけれど「育てる」ことも重要なわけで、そこはもっと考慮するべきではと思うんですよね。メディアは「権力を監視」すると言うけれど、最近の様子は監視と言うよりも「干渉」と言う方が正しいのでは。同じ「干渉」するのであれば、自部達の意向に沿わせる干渉ではなく、より良い社会に繋がる前向きな「干渉」を是非考えて欲しいところです。でも、権力が他の権力に干渉するのって、その権力の独立性を阻害することに他ならないんだよなぁ。

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