2017年8月13日

インタープリター

山本一郎氏による石破茂氏へのインタビュー記事。実際の会話はもっと長いのだろうけど、上手く要点をまとめて分かりやすく再構成されている印象。で、この対談を読むと、やはりこれまでの石破氏の発言として聞こえてきたことの印象もかなり変わってきますね。個人的に感じたのは、この石破さんの、あの木訥とした独特な語り口が、逆に回りくどい印象を与えて、それによって言うべき事に贅肉が付いたような発言が出てしまい、誤解を招くんじゃ無いだろうか。だから山本氏のような上手いインタビュアーに、上手く発言を引き出して貰い、さらにそこから贅肉をそぎ落とした内容を、こう言う形にまとめると、よく分かる気がするし、決して変なことを言っているわけでは無い事も理解出来ます。結局、こう言う事が「説明責任」なんだろうなぁ、と。

自分も、何か説明とか発言をする時に、どうしてもそこで全て理解出来るように色々言いたくなって、結果的に説明は長くて丁寧なんだけど、肝心の要点は何、と言う結果になりがち。可能ならば、一度自分の発言をまとめて第三者がレビューして、そこから再度内容を構成したものを、元の状態に戻って自分の発言として公開出来たら、凄く分かりやすい説明になると思うんだけど(笑)。

ジャーナリスト程では無いにしても、政治家としての大きな仕事・役割の一つとして、有権者に必要な事柄を分かりやすく伝えていく、と言う事が含まれると思うんですよね。その中には、その情報に対して詳細な知識や経験があることもあるし、政治用語とか専門用語を排した分かりやすい言葉で話が出来ると言うプレゼンテーション能力も必要だろし、実はかなり専門的な技能職なのかも。ただ政治家の場合は、そこで説明して理解されなかったとしても、結果としてその人達が望むような、例えば建物であったり、制度であったり、組織体を立ち上げたりとか、具体的な「結果」を出す事で、理解されていない説明も「理解したつもり」になれるのが違うところ。その点ジャーナリストは、文章なり言葉なりで説明して理解させるのが仕事だから、そこが意味不明であったり論理が破綻としていたり言葉遣いが不適切であったりすると、全く仕事をしたことにならない。でも、それを何度も繰り返し、かつ互いに相手の間違いであっても「正しい」と認証行為をすることで、それが「正しいもの」と理解したつもりになって広がってしまう。そう言うことを最近の所謂ジャーナリストは意図的なのか無意識なのか分からないけれどやっている。

今回の山本一郎氏の記事を読んで、例えば最近の朝日新聞、東京新聞、さらには産経新聞でも読売新聞でもいいから、文章だけとりだして、それを全くそれらの企業とは関係な人が書かれている内容を解釈した説明文を書かせた時に、ちゃんと元の意味に沿ったり回出来るものが作成出来るのだろうか。多分、「~だろう」とか「~と思われる」的な記者の主観で論理が構成されていたら、第三者はその内容を類推出来ずに内容構築が出来ないだろうし、さらにはその論拠を上げていったら、実は具体的なものは一つも無い、と言う結果になるかもしれない。言ってみれば、難解な言葉を理解出来る言葉に逐語訳してくれる、インタープリター的な人が今必要なんじゃ無いかと、最近のメディアの暴走的状況を見ていると感じますね。

0 件のコメント:

コメントを投稿