2017年7月2日

メディア「批判」

週刊誌ネタで新聞記事を書く新聞社もどうかと思うけれど、それを元ネタに菅官房長官にネチネチと裏付けも取っていない質問を繰り返す東京新聞のM記者はさらにどうかと思うけれど。所謂新聞記者、所謂ジャーナリストの人達って、ああいうことって好ましい望ましいと思っているんだろうか。

で、それに対して菅官房長官が「もう少し考えて質問して」と言うと、「メディア批判だぁ~」と言うのだけれど、「批判」であるなら正当な理由に基づき反論している訳だから、それに対しての際反論をすれば良いだけのは無しでは。「メディア非難」であるなら一方的な批判行為なわけだから、それは問題だと思うけれど、批判するという事はいつもメディアがやっていることなんだから、同じ事をやられて不満を言うのは間違っていると思う。

何かここ数ヶ月のうちに、既存のレガシーメディアが凄く先鋭的になってきたように感じるのは気のせい。何か噂レベルでも政権に対して批判になると思えばこぞって取り上げているし、に対してのはんんもがんとして認めない雰囲気。「権力の暴走を監視するためにメディアが有る」みたいな事をよく言うけれど、じゃぁそのメディアが暴走した時にそれを監視して強制する存在は何になるんだろうか。多分、一人一人のネットの圧力がメディアに対しての重しにならないといけないわけで、そういう意味ではもっと厳しくメディアを反省させる必要があると最近は強く感じますよね。何か、天上天下唯我独尊、みたいな「俺立ちが真実なんだから疑問を挟むな(意訳)」みたいな雰囲気しか最近は感じられなくなったような気がします。

レガシーメディア各社の彼らは、政府を良くしようと思ってその真偽は別としてもネチっこく批判しているわけですよね? それなら、自らが批判を受ける立場になったと言う事は、それだけ世間が注目してその動向を見守っている、と言う事なんだからメディアに対しての批判を否定するようなことは行ってはいけないのでは。それでも否定したくなると言う子は、そのメディアに後ろめたいことがある証拠なんだと思う。

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