2017年5月18日

スクープ or フェイク?

朝日新聞が「スクープした」と言われる、加計学園の獣医大学開設に関わる政府関与を示す文書。朝日新聞が掲載している、その「文書」は何か周りが暗転していて読みにくいけれど、既にネットには全体が分かるもの、他のページの内容等も公開されています。

ぱっと見た第一印象は、これは会議なり会合なりに参加した人が、自分の記憶あるいは手元のメモに記載した内容を、ある程度整理しつつワープロに入力したもの、じゃないかということ。既に指摘されているように、正式な報告書や書類の類でないことは、記載者や日時等最低限必要な事柄が書かれていないから該当しないことは明らか。また、この文書の内容に関しても、オリジナルのメモなり作成者が何らかの形で内容が正しいことを示さないと、真偽が判断出来ないわけで、以前も有った偽メール事件同様「怪文書」の類と言われても仕方ない。悪くとれば、誰でもそれらしくワープロに入力して作成出来るようなもの。これが「政権が介在した証拠だ」と言われるのであれば、もう何でも証拠が作れてしまう。

また、公開されている文書には、質問に相当する「指示」の内容が書かれたものと、それに対しての「回答」のものがあるんですが、微妙に言葉遣いとか箇条書きされたリスト部分のフォーマットが違う。と言うか、官公庁では箇条書きする時にもリストタグ使わないのか? 全部手打ちしているの? 「これが決定的な証拠だ!」と言われるよりも「これが怪文書です」と言われた方が納得出来るくらい。実際あるTwitterでの指摘では、朝日新聞もこの文書が十分に怪しいことを認識した上で新聞紙上で公開しているので、わざとアップにしたり、写真周辺部を黒くして全体が分からないようにしているのでは、という意見があり、なるほどなと納得するわけです。例えば、プライバシー尊重と言う理由で、テレビでは音声を変えたり画面にモザイクを入れたりした映像を流すけれど、あれだって映像も音声も加工されてしまったら中で話している人が本物かどうかだって分からない。良く街頭インタビューなんかで「街角の若者」「一般主婦」みたいな形で登場している人が、実は同じ人が何度も登場していて、全然「街角の一般人」じゃ無いと言う話があるけれど、あれだって同じ事。やろうと思えば、幾らでも証人を出す事が出来るし、どんな証言だって作れちゃう。

例えば今回の文書が、実はオリジナルの手書きメモがあるけれど、手書き故内容が読みにくいので清書したとか、手書きで筆跡が分かると本人特定されるからワープロに打ち込んだ、と言うのなら納得出来るけれど、そんな説明は無い。仮に公開された文書の内容が本物であったとしても、その内容から政府があるいは安倍総理が何か不正行為をしたという決定的な証拠になるほどのことは書かれていないわけで、単に騒ぎを起こしたいだけなんじゃ無いのという気がします。仮にこの文書が偽物だった場合、朝日新聞はどう言う対応をとるのだろうか。一般企業で、例えば不良製品を出したり、偽証が有った場合は、それ相当の社会制裁が科せられるわけだけれど、メディアは「間違っていました」と掲載したらそれで終わりだと思っているなら、それは大きな間違いだと思う。単に与党、あるいは安倍政権を叩きたい固めに掲載した記事だとしたら、彼らはかなり大きな代償を背負っていることになるんだけど、それは理解しているのか、あるいは今回も報道の自由を錦の御旗にして逃げるつもりなのだろうか。

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