2017年5月4日

憲法記念日

5月3日は「憲法記念日」の祝日。改憲賛成・反対、色々なグループによる集会や発言が入り乱れた一日だったらしいけれど、注目されるのは、安倍総理が会見についてその内容や日程も含めて具体的な発言を正式にしたこと。その内容や日威に関しては一般の国民や野党、さらには与党内部にも賛否色々あることは当然だと思うけれど、そうやって目標設定していくことは肯定を進める上で一番重要なことで、そのこと自体は良いことだと思う。

一寸調べてみると、現行の日本国憲法は1945年8月15日のポツダム宣言受諾を受けて戦後民主主義に合わせた新憲法制定作業が始まり、翌年の5月16日の帝国議会で修正をされて、1946年11月3日に公布。そして1947年5月3日に施行されて現在に至るわけです。戦後の混乱期で有りながら、10ヶ月で今の形が出来上がったわけで、それって本当に深い議論や審議を経て決定されたものなのか、凄く疑問。今だって、憲法はおろか一般的な法律や制度改革をするためだけでも1年2年で決まれば早い方で、何年もかかることもあるのに、です。旧憲法(大日本帝国憲法)は、どこをスタートにするかにも寄りますが、元々の下地が無かったこともあって、1882年(明治15年) 3月の伊藤博文などのヨーロッパ視察を初めとすれば、その後のいろいろな手続きを経て、1889年(明治22年) 2月11日の発布まで7年、さらに実際に施行されたのは1890年(明治23年) 11月29日で、さらに一年以上も後。旧憲法が日本発というかアジアで発の近代憲法であることを考えると、欧米などの憲法を参考にしたとは言え、ほぼゼロから作り上げる必要がありそれなりの時間が掛かることは理解出来ますし、一方で現行憲法が其れ以前の憲法やその当時の欧米の憲法を参考に改正修正されたであろう事を考えると、以前よりは時間短縮が可能だとは思うけれど、戦後の混乱時期に一年も経たずに作成されるというのは、一寸理解しがたい。色々言われるように、ある程度の雛形がすでに米国(GHQ)から提供されて、ある程度の部分はそのまま採用せざるを得ない状況でもあったと考えるのが、個人的には自然だったように思いますね。で、その前提はその後必要であれば時代に合わせて変更していけば良いという考えでは無かったかと。だから、この時に一番重要視されたのは、日本語戦前の状態に戻らないように、また近代国家が持っているべき言論の自由とか人権の尊重、さらには民主主義の徹底のような基本的な部分をまず成立させることが目的だったのでは無いかと。

旧憲法も戦後現行憲法に改正されるまで、57年間改憲されてなかったんですね。それに比べても70年間何度も改憲の話が出ながらも変わらずに続いている事って、それだけ現行憲法の完成度高いからと言われるけれど、でも混乱している時期に一年もかからずに作られたものをそこまで信用して良いのか凄く疑問。最も、今の「改憲反対派」の多くは、9条の変更に反対しているわけで、実はそれ以外の条項も時代に合わない部分が生まれつつあっても、それに対しては事実上無言を貫くだけ。最近感じるのは、5年一回行われる国勢調査みたいな感じで、何年かに一回は国民に対して返報改正が必要な事は無いのかあるのか、有るなら具体的にどうなのかみたいな「国民調査」みたいな事をやったらどうだろうか。その中で、実数で国民の過半数が「必要」と解答した内容に関しては国会で具体的な議論をするとか、回答者数で過半数を超えた内容に関しては、検討項目として公開するとかしたらどうだろうか。

そう言う建設的な議論であるならば、改憲派であっても護憲派の意見に耳を傾けることも増えるだろうし、その逆もまたあり得る話になるだろうけど、護憲どころか単に首相への個人的誹謗中傷しか言わないように人達の意見には、もう誰も見向きしなくなることだけは確か。日本人の気質として、一度決めたことは余り変えたがらないことがあると感じているけれど、そう言う性質をもってしても余りに見当違いな意見に対しては冷めていくだけなわけで、ましてや最近の日本人気質の変化などを考えると、野党のやっていることは墓穴を掘っていくだけの気がする。安倍総理の談話が出たからじゃ無いけれど、今年は何か一つの節目になりそうな気がする。

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