2017年4月18日

無い袖は振れぬ

松戸でのベトナム人女児殺害事件での周辺取材で、共同通信の記者が玄関先のインターホン越しに取材を断られて、腹を立てたのか壁を後ろ蹴りしている様子が防犯カメラに録画されていて、それが拡散された件。投稿者は、多分モザイクなどの加工をする方法が無かったのか、テレビに映したものを携帯のカメラで撮影してわざと荒くした画質で公開したけれど、その苛立つ様子とか後ろ蹴りした様子等はっきり分かるもの。また、スーツ姿や背格好などから、多分当時周辺取材をしていたどこのメディアの誰かというのも、知っている人間が見れば多分直ぐに分かるくらいの品質で、実際一日位で共同通信社の20歳代の記者という事が判明し、上司共にその取材先に謝罪に行ったようですね。

まぁ、「第四の権力」「社会の監視者」みたいな力を誇示するようになってしまった今のメディア界隈では、勘違いする人間も少なくないのかもしれないけれど、一寸擁護も出来ない話。最近では、色々な場所に監視カメラが設置されているわけで、当然自分の様子も何処かから録画されていると思うべきだろうし、そう言うことがあったから今回の事件か何時にも繋がる情報が得られたわけですからね。逆に言うと、これまでも実は同様の不遜な行為は合ったかもしれないけれど、どこにも記録が残らないから問題にならなかったとも言えるかも。今回は若い記者の行為らしいので、まだそれなりの作法というか我慢することも学び足りていないのかもしれ泣けいれど、でもそれなりの会社に入って取材という公共社会の中の歪みを調べる仕事をする委譲は、やはり通常以上のモラルとルールは守って貰わないと。そう言う意味で、実はこれまでも同様の事はあったのかもしれない。

そう思うのは、今回は「映像」という物理的な証拠があるから底から特定可能でしたけれど、今回の件に来限らず、日頃の行動に疑問符が付く人、行いが粗雑な人、何か不信感を感じる人って、そうで無い日常的な場面でも、全く関係無い場面でも、そう言う片鱗を結構見ることが出来るように思います。例えば、ちょっとした事で切れるとか、急に言葉遣いが荒くなるとか。一番顕著なのは、ネットの世界だろうけど(笑)。周りがそうだから、そう言う傾向が大きくなっているのか、段々と昔のように他人から教えて貰うと言う事が少なくなってきたから、抑えが利かなくなってきたのか、底は鶏と卵の話にも思えますが、いずれにしても今回証拠映像がなくてもこの若手記者氏は早晩何かトラブルを生んでいたかもしれない。そう言う意味で、今回の件を糧にして反省したら、若しかしたら数年後には特ダネとか重要事件の鍵となる報道や批評が出来る良い記者になるのかもしれないけれど...

「無い袖は振れぬ」というのは、自分が持っていないものは出す事が出来ないという意味だけれど、今回の様なケースにも当てはまる諺じゃ無いでしょうか。一応上辺だけのビジネスマナーは出来ても、何かあった時の咄嗟のマナーとか常識と言うものは、生来身につけていないと出てこないものという意味で。何とかこの事件の解決をするためにも、厳しい状況は承知した上で何とか一言でもコメントを貰えないかという切実誠実な問いかけなら、若しかしたらこの投稿した人も何か一言付け加えたかもしれない。でも、そう言う雰囲気を感じられなかったから、こう言う対応になり、それが実は本当だったという結末なんでしょうね。無い袖は振れないわけだから、降るべき時に振ることが出来る袖をできるだけ準備していくのが、やはり社会人というか普通の大人の身だしなみなんだろうなぁ。

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