2017年3月2日

知る権利

朝日新聞の慰安婦報道に関しての訴訟について、二審も原告側の上訴が棄却されて「知る権利」は侵害されなかったという司法の判断。裁判所が示した「一つの報道機関が誤報を流しても、他の報道機関の情報にも振れられるから知る権利侵害は無い」、という説明だけれど、ちょっと疑問だなぁ。

まず、今回の様に「朝日新聞という日本を代表する報道機関(自称)」が大々的に報道し、かつその疑問点・虚偽を指摘されても何年も訂正せずにいた場合、幾ら他の報道機関が正しい情報を流したとしても、なかなか訂正すると言う事は難しい。また、この件に関しての一番の問題点は、その朝日の報道を受けて世界中のメディアがそれを拡散しており、それらが事実として認知されてしまっていること。一旦日本以外のメディアで報道されてしまうと、そのメディアのライバル会社なりが日本の別のメディアの報道を引用して拡散すれば言い訳だけど、それをするかしないかはそのメディアの判断なわけで、そういう意味ではメディアの良識というか自浄作用が働くという理解の判決に対して、それは無理出来ないだろうという自分の気持ちがあるなぁ。

この裁判の詳細は不明ですが、でも「知る権利」という部分が論点であったなら、判決文は決して嘘じゃ無いし、実際の所反証記事も色々あるわけで、そういう意味で走る権利が侵されたわけでは無い。本当に問題にするべきは、メディアとして虚偽だと分かっていたもそれを長い時間訂正しなかった朝日新聞の態度なんですよね。でも、それを裁判で糾弾するには、それがどの様な被害を生んだのか証明しないといけないわけで、それってなかなか難しい。これが放送局のように免許制度で新聞発行しているような場合なら、誤報道放置とか偏向報道をしたとかいうことから免許停止何ていうことも可能でしょうけど、新聞や雑誌は発行することは自由ですからねぇ。例えば、朝日新聞の報道を真に受けて一方的にそれを理由で日本人なり誰かが障害を受けたとか、何か事件が生まれてしまえば、その事件の遠因として朝日新聞に対して何らかの対応を要求することも出来るだろうけど。

結局出来る事は、事実を報道すべき報道機関がそれを怠ったと言う事を読者自らが訴えて行くしか無いんでしょうね。それによって、その報道機関の信頼性が低下して存在価値が下がるなり、企業として破綻するなりすることで、会社としての誠意ある対応を考えるくらいまで自己反省してもらうしか手は無いのかも。それでも、今はネットがあるから、やろうと思えば可能なのかもしれないけれど、そう言うことが大きくなると「ネトウヨ」とか言う事で、反対側の人が騒ぎ出して、また有象無象の事柄で時間が潰れていくんだろうなぁ。それが情報社会だとは思うけれど、面倒な世の中ですねぇ...

0 件のコメント:

コメントを投稿