PCWatch、山田祥平氏のコラムから、AIの将来について。将来的には自分のAIが、自分の代理士として例えばホテルの予約などを代行する場合、相手側の応対者もAIである可能性があるわけで、そうなるとAI動詞での会話・対話が成立するためには、それぞれが代理人の基本的な情報を持っていないと駄目なわけで、何処まで自分のプライバシーをAIに委譲できるかというなかなか難しい問題。
AIあるいはエージェントでも、二つ考え方があると思うんですよね。一つは完全の自分の「個性」をコピーした、仮想空間の中の「自分自身」という考え方。もう一つはエージェントは別人格だけれど、信頼できる代理者として代行させる場合。これは今で言うところの信頼できる「執事」的な一途家になるでしょうね。で、多分多くの人は後者の方法を好むのでは無いかと思うんですよね。一つは、対話型のインターフェースが想定される以上、自分自身と対話して楽しいと思う人はまずいないだろうという事。もう一つは、やはり自分自身を見ていることで、自分に対しての欠点とか悪い部分が目に付くために、嫌になってしまう事も考えられます。「似た者同士」以上に似ているわけだから。
ビジネスライクに考えると、人間の「執事」タイプエージェントが一番確実で信頼できるわけで、あるいは「秘書」タイプでもいいかもしれない。そう言う定型的なエージェントに関しては、多分基本的な構造というかデータを確立しておいて、其処に個人個人の味付けみたいな事をしていくことで、それなりの品質のエージェントが出来る気がする。変な話だけれど、そう言う基本的なエージェント教育をする、AIブリーダーみたいな職業も将来的には登場するのかも。
もう一つ、AIとかエージェントでは無いけれど、日本人なら思い出すのは「鉄腕アトム」じゃないだろうか。自分の子供を事故で失った天満博士が、その子を模して作ったのがアトムで、最初は失敗していたけれど、子供のロボットを作って段々経験や知識を蓄積して成長するようにしたはず。手塚治虫氏が今を想像していたのかどうかは分からないけれど、現在の人工知能開発の一つの方向性を予見していたようにも感じますよね。ただ、人間の子供が物心ついてから色々な経験をして知識を蓄積して知見を広げていく実時間に対して、余りに大量の情報を高速に詰め込まれて、一気に成長していく人工知能とでは、やはり成長に歪みがでていく気がする。実時間の中で生活している人間は、良くも悪くもフィードバックして再検証していく時間が有るわけで、それは一見無駄と思える時間も後から考えると意味があると感じられるもの。でも、その何万倍、何億倍も速く知識が環流して更新されていくAIの中では、そういう風に立ち止まって考えるという事が難しいでしょうね。
身近なAIと言うと、介護ロボットみたいものも含まれると思うんですが、やはりこれから欲しいのは加齢と共に段々衰えていく自分の機能(記憶力、知識補完、移動補助、その他色々な事務処理など)を補助してくれるAI。人間の執事の場合は、相互に信頼関係を構築してさーびすの提供を受けるんですが、執事側は主人に対して忠誠を誓うことを前提にしているのに対して、問題なのは主人側が執事をどれだけ信頼できるかという事。欲物語で登場するのは、親子三代に仕えたとか、そう言う家族同然の環境で生活していくことが重要な要素になりそう。あるいは、素晴らしく高潔で堅固な職業意識の持ち主であるとか。で、AIの場合は、今のところAIからの信頼関係構築は無く、以下に主人(オーナー)がAIに対して自分の情報を開示して利用させるかというさじ加減が重要になるわけで、それって感情的なものでは無くで純粋にセキュリティレベルとかポリシー管理みたいな話になり、なかなか難しい気がします。あと、今のサービスでは、りんなにしてもSiriにしても、一つの存在が不特定多数の対応をしているわけで(多分分散処理とかして、本体は複数存在するんだろうけど)、どうしても自分専用のAIというものが将来的には必要になるんじゃ無いかと。全てのプログラムを手元に置くことは難しいとしても、その個人特有にデータはローカルにあって、それを参照してその人戦用のAIになるという事が先ずは必要でしょうね。その上で、デバイスの性能が上がってきたら、常に手元にあって共に成長するAI、そして究極的には自分と一緒に年を重ねていき、最後は一緒に最後を向かえるAIが、もしかしたら究極のAIなのかもしれない。そう言えば、アトムの最後ってどうなったんだろうか。今度時間のある時にでも調べてみよう...
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