2017年2月15日

おちょくるつもりがおちょくられ

朝日新聞社の神田大介テヘラン支局長のツイートに対して非難が高まり削除したところ、政治学者の山口二郎氏が「最高責任者をおちょくることに、何の配慮が必要か」と火に油を注いでいる件。元々の神田氏のツイートは、第一次安倍政権退任の原因となった病気を揶揄したもので、それ自体大新聞社の支局長というそれなりに責任ある立場の人間が公に書き込む内容かと思うし、それがどう言う理由かは別にして病気とか身体的特徴を取り上げて揶揄することは、よほどの理由があっても控えるべき事では。非難の高まりで神田氏はツイートを削除して謝罪したけれど、今度は援護射撃のつもりか何なのか、山口氏が折角沈下させようとした残り火に盛大に燃料投下をして、再び大火にしている。

国の最高責任者が、それなりにプライベートが制限されて、且つその行動や発言は出来るだけ透明性を持つべきと言う事には賛成だけれど、それを「おちょくる」と言うのはどうかねぇ。つまり、彼らのこれまでの発言は、何か意図とか考えが合って主張していたものでは無く、「おちょくっていた」という風にも取られかねない。あぁ、だから脳天気でお気楽で独善的な内容の話ばかりだったのかと、納得したりして(笑)。

もう一つの問題は、神田氏は病気を揶揄していたわけで、それを「おちょくり」と認めてしまうと自分達も同じような事を言われても反論できないことになってしまう。つまり、本来は相手のことを考慮すべき話すらおちょくりというレベルの話に矮小化することが彼らのルールだとすれば、本当に必要な主張にすらもそういう認識を持つわけで、結果的に自らの活動なり主張なりの根拠を不透明にさせているだけ。で、結果的におちょくるつもりがそのネタで自分達がおちょくられる結果になっているけれど、多分彼らはそんなことは我関せず蛙の面になんとやら状態なんでしょうね。

この人、民主党のブレーンで民主党政権時代も色々と発言していたらしいけれど、結果的に民主党政権が失敗したのもなんとなく頷ける。大学教授・准教授という肩書きで色々専門分野以外にも活動している人は多くいるけれど、余り信用できる人がいないのは、やはりこういう人の存在がマイナスになっているからだろうか。「政治学者」とか「社会学者」という肩書きの人が最近は色々な場面に登場しているけれど、彼らは過去の社会体制政治体制を研究しているのか、現在の体制を研究しているのか、それとも将来の望ましい体制を研究しているのか、正直よく分からない。100%否定するわけでは無く、中には自分でも「なるほど」と興味深い意見が出る場合も有るけれど、この山口氏を筆頭に何か世の中に恨み辛みをぶつけて憂さを晴らしているだけのようにしか見えないんですよね。そんな気持ちが、この「おちょくる」という一言に出るのかな。せめて「最高責任者だから、どんな批判や非難にも耐えなければならない」とでも言えば、また印象が大きく違うと思うのだけれど。結局、その程度の事すら考えが及ばないのが、彼らの限界を示している気がする。

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