週末話題になっていたビル・ゲイツ氏の「ロボット課税」の話。ロボット(や、その他自動化サービス)が社会に進出することで、これまでは人手で行っていたような単純作業などがそれらに置き換えられて、人間の職場が奪われていくというのは、1980年代位から産業用ロボットが製造業に入り始めた頃にも言われたこと。これはこれで一つの意見でそれなりに正しいと思うけれど、現実問題としてそれに近いことは既に怒っているんですよね、海外移転・海外製造委託、と言う形で。勿論、場所が違うだけで人から人への職業移転になる委託事業と、人から仕事を奪うロボット導入では意味が少し違うけれど、例えば日本国内という視点で見ると、日本人のある職業層の仕事が激減したり消滅することで、そこで私語とをしていた人が困ることになる事は一緒。そういう意味で、ゲイツ氏の主張に関しては、どう対応すれば良いのかすでに実例は生まれているという何ですよね。
1980年代後半から2000年代は仕事の関係で年に何回も米国に出張していて向こうの様子を色々見ていたんですが、当時の繊維産業は、日本は中国製の衣類が増えてきていて、米国は南米とかバングラディシュ製が多かったと記憶しています。その頃思ったのが、コスト削減で日本は中国、アメリカは南米や中東方面へ海外製造に乗り出すけれど、それらの地域だって何れはコスト高になりさらに安い地域を目指すだろう。そうなると、今はそんな産業がほとんど無いけれど、多分アフリカに行くしか無いだろう。でも、そこもコスト高になったら、次はどうするのだろうか、と。勿論、アフリカまで製造設備が移動して、さらにそこがコストアップでもはや製造メリットが無くなるには、まだ何十年も掛かるだろうと思うけれど、その後はもうロボットとか自動織機で製造するしかないだろうなぁと思ったことを記憶しています。
ロボットの登場以前にも、機械化や近代化でどんどん昔からの手作業での製造システムが置き換わり、例えば自分が子供の頃と今を比較してもかなり職業の階層は変わっています。で、どうしなきゃいけないかと考えると、一つは別の職業に映るしか無い。もう一つは完全にその職業が無くなるのなら駄目だけれど、規模はともかくその仕事の一部でも残るのであれば、そこで生き残る方法を考えるしかありません。どちらも必要なのは、自分の能力や技術に付加価値を付けて増やして、いずれかの対策が可能になるしか無いんですよね。中には、高齢であったり病気であったり、あるいは体に障碍など有り難しい人達もいるから、そういう人達は別として、普通に生活できて仕事をしたい人は、結果的に常に先をみて成長しないといけない。ある意味、それつて職業選択の自由であるのと同様その為の義務とも言えるのかもしれませんね。
ここで思うのが最近話題になっている大学の無償化。既に高校まで無償化されていて、さらにその先よ年分の学費も無償化しようという事だけれど、私はそれは止めて、逆に中卒、高卒で仕事をする・しなきゃいけない人達への手当を厚くして、専門学校とか職業学校に行くような場合には補助をする。所謂「ヤンママ」のように子供の世話が一つ課題になる場合は、専門の託児施設等を優先利用出来るようにする、などの支援の方が意味があるんじゃ無いだろうか。高校進学は、今の時代ある意味義務教育みたいな物だからまだ仕方ないとしても、大学進学はその人の個人の問題で有り、将来への社会投資と言う意味はあるかもしれないけれど、それなら現実的に既に社会貢献している就業者層への補助を厚くして行くことも必要じゃ無いだろうか。仮に「無償化」するのであれば、例えば30代とか40代で再び大学で勉強するときに補助が出るとか、新しい技術習得機会の支援の方が意味があるのではないだろうか。
「ロボット化」と言うとまた別の挑戦のよう感じられるけれど、言ってみれば100年以上前から世界中で生まれて進んでいる「機械化」の一つなんですよね。その社会をどう我々は成長して社会を改善してきたか。ロボット化はより複雑化するだろうから昔と全く同じ方法論は通用しないけれど、でも同じような事がそうやって何度も繰り返されて、それによって人間自身が成長していく、ということを理解する必要があるのでは。だから、その成長を停滞させる「ロボット税」ではなく、ロボット化を進めて次のステージへの脱皮を加速させる「ロボット化推進支援」みたいなかたちでの人間の成長を考えるべきでは無いだろうか。色々な理由で単純作業の仕事しか出来ない人も多く存在するだろうけど、その中のほとんどの人は機会があればよりやり甲斐のあるしたがって経済的にも恵まれる仕事をやりたいと考えていると思うんですけどね。そういう意味で、ゲイツ氏の発言はちょっと残念かな...
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