共同通信による、福島原発のレポート(1回目、2回目、3回目)。特に1回目の冒頭に書かれている、福島の桃と知って吐き出す話は、なかなか衝撃なんだけど、残りの話を読んでみると何となく「共同通信」の香りがする気がする。
閑話休題。未だに「福島産」「東北産」というだけで、放射能と短絡的に繋げる人が居るわけで、これってメディアの風評被害の酷さを証明しているといつも感じます。勿論、未だに放射線量の高い地域はあるわけですが、そう言う場所を避けて栽培・収穫し、さらに放射線量を検査して問題無いことを確認して出荷しているわけです。それでも、信用できないと信じない人が未だに多いのには驚くばかり。ちゃんと調べて、放射線量が検出限界以下と言っているのに。その人達は、もしかしたら福島とか東北以外の地域の物を口に入れているんだろうけど、何故ちゃんと検査をしても居ない物を信用できるのだろうか。それ、何処で栽培・獲られたものか分かっているんでしょうか。放射線量に問題無いことをちゃんと確認した物でしょうか。「○○産」と書いてあるだけで信用してもいいの? あれだけ、「福島産」にはヒステリーになるのに。単に印刷してあるだけですよ? (笑)
真面目な話、今日本でというか世界で一番安全な食品は、福島で生産されたり、福島の海や山で獲られたものだと思う。なぜなら、未だに全数検査なんて事をやって、問題のある者はそこで処分されているわけですからね。蹲踞とをやっていない地域の物は、見た目で判断されて出荷されるわけですが、放射能って目で見えないわけですよね(笑)。「いゃ、原発事故があったのは福島だけだろう」と言うだろうけど、反原発の人達は原発が有る事自体を問題視して、それが放射能を拡散しているみたいな事を言うわけだけど、それを言いだしたら日本よりも自然放射線量が高い韓国とか中国の物なんて手を出しちゃいけないわけだし。
このコラムの最後で執筆者(記者)は、多くの人がこの現状を見るべき的な発言で締めくくっています。それはそれで正しいと思うけれど、今流布している風評に関してはメディア乃責任が一番大きいと言って良いはず。また、一般の人が自由に出入りできない制限された区域・地域だからこそ、その人達の代弁者としてメディアの人間が「事実」を報告して、そこから一人一人が判断出来るようにするのが、仕事以上の「使命」であるんじゃ無いだろうか。それを何か他人事のような言い方で最後に閉めるのは一寸納得できない。福島の復興予算の膨張が問題にもなったけれど、あれだって福島以外の地域の原発を再稼働して、電気料金を下げることで、逆に自然エネルギーを広げる原資にもなるし、電気会社の利益が生まれることで復興予算にも対応出来る。でも、原発反対というだけで、それをしないから、高い電気料で景気も低迷したままだし、原資にも困るから電気代が上がるだけ。結果的にも自然エネルギーや代替エネルギー開発もままならない。反原発の人は「子供や孫を苦しめない為に」とよく言うけれど、今のままではその「子供や孫」が生まれてこられない状況になるかもしれないのに。このコラム自体は、最初の逸話の衝撃もあってなかなかインパクトも大きいけれど、結果的には風評被害を広げたメディアが、そんな責任はつゆほども感じていないことを証明しているだけの気がする。以前から言っているけれど、製造物責任法があるように、メディアには情報提供責任があるはずで、その情報風評被害に関しては、PL法と同等以上の責任と義務を負うべきだと思う。
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