2017年1月28日

情報大量生産時代

毎日新聞社の取締役が、こんな発言をして回りから「お前言う」批判を受けている話。まぁ、waiwai事件以降、朝日、毎日、東京の各紙は色々物議を醸しているけれど、最近感じるのは彼らも「情報販社」化してきている以上、常に一定の商品(=情報=記事)を作り続けなければいけないし、その中には「売れ筋」とか「目玉商品」が欲しいわけです。それが、反原発とか反何チャラ報道化していく理由の一つでは無いかと。これらの「反何チャラ報道」の便利なことは、その内容にかかわらず、マイノリティーとか弱者を救済するという名目があるから、多分記事を書きやすいし膨らませやすい。特に、「自然」とか「エコ」とか「人権」とか「差別」とか、それらは本当に議論すべき重要なテーマではあるけれど、逆にそれ故にそれを理由にすれば反論をある程度封じられるというか、そう言うことを言えるのは正しい人で有り正義の人であるという「思い込み」を生み出すんですよね。問題なのは、それらの話題に関して事の重要性とか大きさとは別に、読者や視聴者の「受け」が良い物を優先するような傾向が感じられること。

最近気になるのは、AV出演の許容問題で、これはこれで確かに女性の事件問題あるいは個人の意思の問題で大きなテーマだとは思うけれど、多分それで困っているのは全女性の数十人・数百人規模。それならば、その何倍何十倍もの数であろう風俗で働く女性のうち、強制されているような人も多いだろうし、そういう話の方こそしなきゃいけないのでは。大体、これらメディアの系列出版社ではタブロイド判とか芸能雑誌みたいなもので、そういう業界をネタにビジネスしているわけですから、本末転倒とも言える。

結果、昔のように権力の監視などという崇高な使命を意識して情報提供者としてのモラルがあったうちは良いけれど、いつの間にか「情報ビジネス会社」となってしまった今のメディアは、どれだけ売れる商品を生産し続けるかと言う事が命題になってしまった。それが最近の諸問題の根源だと思う。逆にネットワークを手に入れた、本当にそれぞれの問題を考える個人やグループの方が、精確で的確な情報提供をするようになったのが、ある意味その反証じゃ無いだろうか。メディアがメディアビジネスで食べていけなくなってきたときに、一つは多角経営を目指すだろうし、それはそれでいいとしても、既存マーケットを守るために薄利多売とか多品種少量生産みたいな既存の製造業のビジネスモデルを取り込もうとしているのが、今の特に大手メディアの問題だと思う。新聞が売れなくなったと言われるけれど、ある意味新聞の購読料ってメディアへのカンパみたいな物だったはず。読者が見限ってきたから、そのカンパも集まら無くなってきたと思うと結構しっくりすると思う。

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