2016年8月22日

投書欄

キャスターの辛坊治郎氏が、朝日新聞の投書欄に掲載された記事に激怒したという記事。書かれている内容はその通りで、たまたま発生した一例を理由に全体もそうだと決めつけるのは間違い。そりゃぁ、それぞれ言い分はあると思うけれど、先ずは個別の案件と全体の話しは分けないと。この論理が許されるなら、最近話題の共産党は暴力革命を標榜する危険な集団だと言われても仕方ないし、ある組織で何か事件があればその組織全体の責任と言われてしまう。以前、永江さんが沖縄の犯罪率について記事にされていたけれど、過去酷い時期もあったけれど、最近ではかなり抑制的で、事米軍関係だけ見れば、沖縄全体よりも低い値になっている。そう言う意味では、「米軍怖い」ではなく「沖縄県民怖い」になってしまうわけですよね。ただ、そう言う情報はなかなか認識されない事と、多分昔の酷い時代の情報(当時の記事や記憶)だけが、今でも残っているから何でしょうね。それらは事実だから司会の無い事だけれど、そこには時間の流れを重み付けして、今はどうなのという事もちゃんと評価してあげないと。

新聞の投書欄って、言ってくればテレビで放送される音声加工・画面加工している映像みたいなものですよね。送られてきた手紙の内容がそのまま掲載されているかどうかは誰も分からない。ある意味「市井の声」と言いつつ、何でも出来る場所でもありますよね。これまでは「新聞」というメディアに対しての信頼性が、こういう投書欄に関しても波及していたけれど、メディア自体に対しての信頼性が揺らいでいる昨今では、本文ですらああだからましてや匿名性が高い投書欄なんてどうなんだという人が殆どでは。

まぁ、投書の正統性を忘れても、新聞として明らかに偏った考え(一つ悪ければ、全てダメ)を掲載してしまう事の方が問題では。日頃は弱者何たらとかマイノリティーがどうたらとか言っているのに。今度は是非、どこかの国の人が犯罪を犯したら、その国の人が怖いという話しを掲載して欲しい、と言ったら彼らはどうするんだろうか。米軍駐留に対して不満があるなら、ちゃんとその理由と是非を批評すれば良いのに、何でこういう裏から手を回すような事をやるのか。なんか、こう言う事をやっている人達って、全部一つのテンプレートで動いているみたいな同一性を感じるのは偶然?

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