2016年8月13日

最後は愚痴るジャーナリスト

昨日書いたハフポストの鳥越氏インタビューの後編。何か文句と言い訳のオンパレードだけれど、最後のまとめが酷いですよね。

「それは今、政治意識をある程度持っていて、「何とかしないといけない」と思っている人たちが、たゆまず、遅々としてもいいから、ちゃんと国会前に集まって声をあげたり、デモを日本中あちこちでやったりして、市民の声をあげていくしか、今の所はない。それをどれだけメディアが取り上げてくれるか。日本のメディアは全然取りあげてくれないんだよ、俺も色々やったけれど、昔のようには取りあげてくれない。だからほとんど国民に伝わっていない。」

集会やデモ行為も確かに自分の意見の主張方法の一つではあるし、目立つ示威行為ではあるけれど、それだけじゃ何も変わらない。大体それで集まる人は多くても数万人。それこそ60年70年安保のように何十万人も集まればそれは一つの圧力になると思うけれど、それだった今とは事なり意見主張方法が限られていた時代だからそれも効果があったと言えるはず。そして、最後に愚痴っているけれど、メディアだって最初の頃は取り上げていたし、今だってあの局とかあの新聞社は熱心に取り上げているじゃ無いですが。でも、それって多くの人から見ると裏が透けて見えるし、その行動とは裏腹にそこで主張されていることとの食い違いも分かるから指示されない。「昔のようには取り上げくれない」と言っているけれど、行動その物が昔と違う意図意味を持っているからと言う事には気がつかないのだろうか。

さらに途中では、国民は安倍政権に満足しているからメディアは何を言ってもダメ。だから相当のことが起きないと変わらないと言っているけれど、それって共産主義の革命活動と同じじゃ無いの。確かに今の安倍政権は色々問題や不満もあるけれど、総体として国民の多くが納得して満足しているなら、それこそが国民が望んでいることでは。いゃ、それは違っている、昔の貧しかった頃を見ろと言われても、その時代から何とかして豊になろうとして頑張ってきたのが今の時代なわけで、この人はみんながみんな貧しくてぎりぎりの生活をすることが「美しい」と思っているんだろうか。それって、社会主義とか共産主義の「清貧」みたいな考え方で、それは一つの考えではあるけれど、誰物が望む姿じゃ無いと思う。大体自分がそう言うこと望んでないでしょ?

今回の都知事選挙では、野党の統一候補として、また所謂リベラルの代表として担がれて、結果的にさんざんな醜態をさらしたわけで、もう何を言っても空疎に響くだけ。それでも、まだもっと冷静に自分の行動なり今回の選挙なりを反省して次に繋がる発言があれば少しは見直すけれど、結局は「時間が無かった」「私は知らない」「国民が知ろうとしない」みたいな、他人事の言い訳しか出てこないんじゃ、もうこの人に耳を傾ける人はいないでしょう。あっ、それでも指示する人っているんですよね、ごく一部だけれど。ますます一般の考えから乖離していくことに、この人は最後まで気がつかないんだろうなぁ。結果的に「メディア」とか「ジャーナリスト」なる言葉を汚しただけというお粗末な結果手下ね。

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