2016年7月30日

狼ヒットラー

相模原の殺傷事件。その内容の衝撃度の大きさに色々なメディアで取り上げられているわけですが、個人的にちょっと気になるのが、被害の対象者が知的障害者の人達だったために、彼らの人権を尊重して欲しいという事が言われていること。勿論、それは正しい意見なんだけれど、結局は社会的弱者を彼らの人権や尊厳を維持しつつどのように守っていくか、と言う事だと思うんですよね。個別には、例えば経済弱者には社会保障が必要だろうし、今回のような障害を持つ人達に対しては、それを補助する事が必要だろうし、高齢者にとっては保健医療が必要だろうし、それぞれの事情によって内容は異なるけれど、突き詰めれば「弱書を守る」という事のはず。そう言う意味で、今回の事件から障害者という点にフォーカスが当たるのは一寸違う気がします。考え直す切っ掛けと(というには、高すぎる代償だろうけれど)にはなると思うけれど、その為のゴールは決して施設の警備を強化することでは無いはず。

さらに犯人はヒットラーが降臨したとかいう事も言っているみたいですが、これで思うのがこれまで野党やその支援者が盛んに安倍首相をヒットラーになぞらえていたけれど、それが出来なくなったんじゃ無いかと言うこと。これまではあくまで印象操作だったけれど、今回は本当に実行に移した犯人が登場してしまったわけで、説得力が無くなるわけですからね。野党の戦略がダメだったと思うのは、特定の個人同士を結びつけてしまったこと。その時にはそれなりの説得力があったとしても、より説得度の高い物が登場すれば、当然以前の物は陳腐化するわけで、そこで賞味期限切れになってしまう。仮に私が彼らの立場であったなら、個人では無く相手組織をなぞらえるとか、あるいはもっと根本的な、大衆迎合する政府はナチスを彷彿させる、というような、結論では無く有権者に考えさせる方向に持っていったでしょうね。効率は悪いかもしれないけれど、浸透度はこちらの方が深くなるだろうし、不幸にして今回の様な事件が生まれれば、それが社会変質の一要因として主張することも出来るだろうし。最も、それならそれで反論としては、別に政府が犯行を起こしたわけでは無く、これは得意な思想に嵌まった個人の犯行と説明するだろうけれど。それでも、言い方は悪いけれど利用することは可能。でも、現実は彼らの使ってきた駒の一つが無くなってしまったのも事実。

野党としては、子供を叱るように恐怖を植え付ければそれを回避するために国民の考えも変わるだろうという目算があったと思いますが、それが本当に事実で現実的に発生しているならまだしも、あくまで架空の話しで説得されても納得できるだけの理由が見つからない。「狼少年」の逸話を引用するまでも無く、野党が声高に危険を訴えれば訴えるほど、ますます国民は不感症になっていき、本当に必要な時には誰も振り向いてくれなくなるんでしょうね。狼少年ならぬ狼ヒットラーにも、今回の事件で視点が変わるんじゃ無いだろうか。ましてや、明日の都知事選挙の結果で、野党統一候補の結果次第では、ますます彼らの信用度が下がり、ますます厳しい立場に陥る気がする。まあ、それに気がついているのかいないのか。

結局、今回の事件にしても、それを何らかの目的で利用する人達にしても、その事象だけを取り上げて都合よく使うことは誰でも出来る。でも大切なことは、そう言う個別の現実の事象を俯瞰して、根本の原因は何なのか、あるいは次に怒ることは何なのか、そこからどう言う方向に社会が進みどう言う対策が必要なのかという、少なくとも日本の政治を司る人達は大局的な視点を持たないと困ります。ましてや、ジャーナリストなる人達も。一点だけを取り上げて、それで白黒話をするのは、結局個人的な井戸端会議にしかならないと思う。それを繰り替えと、どんどん第2第3の狼少年が生まれるだけだと思う。

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