2016年6月30日

和製英語

産経新聞のコラムから、記事の内容以前に今回も気になるのが「I'm not Abe」「We are not Abe」なる、英語(?)について。訳せば「私は(私達は)、アベではありません。」ですけど、岡田さんや志位さんが言えば「はい、その通り」と答えるしかない。気持ち的には「私は(私達は)安倍政権に反対する。」位の意味なんだろうけど、日本のごく一部の人達にしか通じない「暗号」みたいな気がする。

元々は、フランスでの新聞社襲撃事件から、その犠牲者を追悼する気持で「Je suis Charlie」(私はシャルリ=シャルリに寄り添う)、みたいな意味のプラカードが出て、そこからその後のISによる後藤健二さん殺害に対して、同様に彼を悼む気持から「I'm Kenji」というプラカードが生まれて、それが何故か「I'm not Abe」になるという不思議さ。「I'm Kenji」が「健二とともに」だから、その否定ならば「安倍とは別に」なんだろうと日本的な思考から思ったのかもしれないけれど、うーん意味が違うような。せめて「No, Abe」なら通じるんだろうけど。毎回思うんだけど、仮に次の首相に麻生さんがなったら、今度は「I'm not Aso」というのだろうか。それで通じるなら、楽な仕事ですね、政治家は。

コラムの最後にも書かれているように、政治はその責任者の考えが色濃く出るものではあるけれど、アメリカのような大統領制で無い日本の場合は、やはり与党の考え方やある部分では多数決を得るために野党とも協議するわけで、個人がどうのこうのという話ではないはず。と言うか、それを言うのであれば民主党時代の鳩山政権、菅政権時代なんて、もう即刻退場して欲しいくらいの「個人的資質欠如」状態だったわけで。仮に、その責任者の資質に問題有りと考え、退陣を要求するためにこう言うスローガンを言うのであれば、せめて日本語でちゃんと意味が通じるもの、あるいは英語を使うのであれば海外に伝わっても正しく理解されるような英語にして欲しい。

若者言葉とか、特定の業種やグループ内での「隠語」ならまだしも、一般の人に対して主張すべき言葉が、何となく雰囲気だけの言葉が、あたかもそれが正しいというような、これも雰囲気だけが伝搬していくのは、ある意味政治的なデマ・詐欺じゃ無いだろうか。その中でも、知ってか知らずか、本来は意味が通らないような「和製英語」を使うことで、あたかも世界的なお墨付きを受けているような錯覚を狙っているとしたら、それって犯罪に近いものがあると思う。それに政治家であるなら、相手よりも実現可能なより有益な政策や提案をすることが仕事のはずで、相手を貶めることばかりしているのは政治では無くて単なるアジテーター煽動者だと思う。そんな人達に責任ある仕事なんて言うのは、絶対に任せられないですよね。あの、民主党政権時代よりも悪くなってしまいそう。そういう自己矛盾にこの人達は気がつかないから、嬉々として意味不明な和製英語を重宝しているんでしょうね。行ってみれば、鰮の頭も信心から、みたいな。

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