2016年3月1日

傲慢なキャスター

久しぶりに記事を読んだ瞬間に何か怒りのようなものを感じた不愉快な声明発表。その中でも、田原総一朗氏が

「非常に恥ずかしい発言。全テレビ局の全番組が抗議すべきだが、残念ながら多くの番組は何も言わない。高市さんに、恥ずかしい思いをさせなければならない

の最後の部分にはカチンときました。それぞれ言い分はあるだろうし、それを公の場で発言する自由もあるとは思う。でも、「恥ずかしい思いをさせなければならない」というのは、一体自分はどう言う立場の人間だと思っているんだろうか。この田原氏の番組は最近はそう見なくなったけれど、いつも自分の意見中心に議論を誘導している風に感じるし、正直我田引水の印象。だから、「俺の言う事が正しいのだから、相手を貶めないといけない」と言っているようにすら感じる言葉。他のコメンテーター達の日頃の発言の様子を見ても、自らが正義、自らが正道という立場でいつも話をしている印象しか無くて、仮にもメディアの人間であるなら、先ずは一歩下がって相手の意見を聞いた上で話をするべきじゃないのか。全体的に、「自分達の言う事が正しいし、正義であるしのだから、反対するな」と傲慢な態度にしか見えない。

「声明文」なるものに関しても、意図的なのか無意識なのか歪曲した内容を盛り込んでいます。

「そもそも公共放送にあずかる放送局の電波は、国民のものであって、所管する省庁のものではない。」

そもそも、私企業である「放送局」が都合の良いときには「公共放送」を謳うのはどうだろう。それに、「電波」は国民のものであるから、所轄官庁が決められていて、そこで「免許制」で配分されているわけですよね。「国民のもの」だから、法律は倫理規定で有り自分達が都合良く解釈できる何て言うのは、余りに傲慢な解釈。それだったら「基本的人権は国民のものだから、法解釈は自ら判断出来る」と言っているようなもの。本当に彼らが彼らが言うように「電波は国民のもの」というのであれば、是非その放送局の停波なり内容になりに関して、国民投票が出来るように提案して欲しいですよね。多数の国民が、その放送局あるいは番組に対して、どの様に感じているのか。それなら彼らの言う「国民の電波」の有効利用も可能だろうし。

大体、民主党政権時代に同じ発言があっても、その時には何も言わなかったくせに、今回は火のついたように騒ぎ出す。それだって、民主党が自分達側の都合の良い与党だったから、反対することは野党の自民党に対しての援護になるので何も言わなかったわけでしょ。今回は立場が逆になるから、騒ぎ出す。凄く分かりやすい人達。

声明の最後に、外部からの圧力ならはねつけられるけれど、内部からの萎縮は困る見たいな事を書いているけれど、それって変でしょ。内部的に団結して自分達の意思が変わることはないけれど、外的に経済的・行政的圧力を掛けられたら私企業でもあるので対応出来ない、というなら分かる。だから、放送法の適用は慎重になるべきだとか、第三者も含めて判断すべきだ、というなら分かる。でも、それが圧力になって内部が萎縮するというのは、結局自分達に後ろめたいことがあるから困るといっているようなもの。今回声明を出したコメンテーター達は自分達が正しいと思っているかもしれないけれど、実は放送局側は「もう少しく大人しくしてくれないか」と、実は内側でも苦々しく感じているんじゃ無いだろうか。それがコメンテーター達にとっては本当の危機感として感じられて、こう言う「内部に向けてのプレッシャー」を見せているような気がする。まぁ、言葉は悪いかもしれないけれど、放送業界の「老害」を見た気がします。

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