2016年2月1日

天秤

日曜日の朝、たまたま見ていたCX系「ワイドナショー」で、コメンテーター(?)松本人志氏が甘利氏の辞任に関して、「言い方は悪いけれど、高々50万円位のお金のことで、何兆円というTPPをまとめてきた来た人がやめて良いのか」というようなコメントをしていました。正直なところ、その意見には賛成。今のところ報道されている情報では、主犯(?)は甘利氏の公設秘書とS社の総務担当者で、あえて甘利氏を責めるのであれば脇の甘さというところくらいだろうか。仮に、本人が賄賂を要求してそれで口利きをしていたとか、本人が直接その行為に関わっていたならば、それはアウトだと思うけれど、今回の様に第三者の行為に関して「監督責任」ということで、それまでに積み上げてきた、さらにこれからも多く動く仕事の責任者担当者が居なくなるのは、凄く大きな損失ではと思いますね。特に、今国民が一番不満を感じている「経済」に関しての事だから、逆にこれで経済が下降気味になってしまったら、正義は守ったから不況に入ってしまったらみんなはハッピーなんだろうか。

先のベッキー問題もそうだけれど、例えば裁判で有罪が決まったわけでも無く、その裁判すら始まっていない状態。著名な芸能人が不倫疑惑の行為をしていることは、それは誉められたことでは無いけれど、でもそれって当事者間でのプライベートな話な訳で、それを頼みもしないのに公にされて、さらに大きな社会的制裁を受けさせられるというのはどうだろうか。今回の甘利氏の件にしても、「口利き行為」に何か焦点が当たっている気がしますが、元々は建設会社側の「贈賄行為」が裁かれるべき事では。その点に関しては、余りメデイアでも取り上げられていない気がするんですよね。メディアの興味としては、そちらよりも甘利氏、あるいは政権側を叩くことが主目的になっているような。さらに言えば、今回の報道があってから、実はS社の担当者の素性も何かおかしいのではと言う疑惑が生まれてきて、ライバル誌はそちらの視点で追求していたりするけれど、変に勘ぐれば意図的に人を陥れようと思えば、こう言う方法で相手を利用することも可能だと言う事を、今回改めて知った人も多いのでは。

メディアの使命として、不正義や不正を暴くことは重要だと思うけれど、だからといってそういう行為を誘発させるよう事をするのはどうだろうか。言ってみれば、囮捜査みたいなものですよね。人の心の中には、誰もがやましい部分があり、でもそれを表に出さずに静かに暮らしてきた人が、こう言う事でトラブルに巻き込まれて意図せずにそういう部分が出てしまうのは、気持ちが弱いと言われるかもしれないけれど、でも余計な刺激が無ければそのままずっと隠れたままで迷惑をかけなかったかもしれないわけで、それを敢えてする者の責任ってどうなんだろうと一寸考えてしまいます。当然、その実行者には何倍もの公正さと正義と潔白性が要求されるわけだけれど...

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