2016年1月7日

消えるメディア

新聞は「消えるメディア」かという記事。新聞だろうが、電子ニュースだろうが、その根本は「情報伝達」ということ。同じ「○○は△△である」という情報を伝えるとしても、紙に印刷して配布する新聞に比べて、直ぐにデータ配信で伝えることが出来る電子ニュースは、速報性だけで無くアップデートだって簡単だし、「情報伝達手段」としては優れていると言えるでしょう。

新聞が良いのは、読むときの簡便性。さらには、様々な情報をまとめて提供出来る事。電子ニュースでも全ての情報にアクセス出来るけれど、それは個人が操作しないと行けない受動的な配信に比べると、必要不要の別はあるにしても、新聞はまとめて情報入手出来る利点はありますよね。ただ、全体として「情報伝達」という目的を考えると、読みやすさ等は新聞に軍配は上がるけれど、相対的には電子ニュースの方が有利。じゃ、新聞はこのまま衰退していくのかというと、個人的には長期的には無くなるでしょうね。ごく一部の目的で、例えば今の雑誌のような形で残るかもしれないけれど、今の新聞という形態は早晩無くなると思う。

それでも生き残るために新聞はどうしたらよいのか。一つは物理的形状の変更。今の新聞紙サイズははっきり言って自宅で見るには良いのですが、移動時に読むのは不便。持ち歩くときには畳めるから問題無いのですが、使用するときにそれなりに広い空間が必要になるのは、今の時代にはマッチしていません。最初から畳んだくらいのサイズ、あるいは大きめの雑誌くらいのサイズにしてあれば、もう少し持ち直すのでは。さらに感じるのは、段組の変更。新聞の場合、様々な内容や数の記事を入れ込まないといけないので、人の記事があちこちに分散していたりして、非常に読みにくい。これを整理して、一つの記事はまとまった範囲で読めるようにするだけで、新聞に対しての拒否感が減ると思うのだけれど。

例えば中身は変えずに、サイズや形状を変更することで復活するものっていろいろありますよね。あるいは、分量を小分けにするとか。まずはそう言う努力からしてみたらどうだろうか。そして、根本的には、新聞社としての情報提供能力ですよね。私企業だから、某かのバイアスがかかるのは仕方ないと思うけれど、公共性を少しでも謳うのであれば、やはりバランスや主義主張の一貫性、そして公共の情報提供者として、誤情報等に対しては真摯に対応する姿勢こそが、新聞社が新聞社として生き残る最大の理由であり必要条件じゃ無いだろうか。

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