2016年1月15日

言葉は心を表す、行動は目的を示す

タイトルは、私の勝手な造語です(笑)。フリージャーナリスト、石井孝明氏のAgoraのコラムから、最近何かと話題になっている精神科医の青山リカ氏に関しての話。内容に関しては、多分大多数の人が同意するんじゃ無いだろうか。このコラムのテーマになっている「香山リカ氏」。以前は、翌朝のワイドショーや情報番組に出演されていて、いつも見ているコメンテーターの一人だったけれど、最近は画面では見ることはほとんど無く(見ているチャンネルにもよるだろうけど)、逆にネットでの露出度が上がっている気がする。

で、このコラムでも取り上げられている映像何ですけど、昔はもう一寸落ち着いて、それこそ患者さんに問診しているような静かな口調で話しをする人だという印象だったけれど、最近は何か精神を病んでいる様な雰囲気すら感じられる。この映像を見ていてふと思いだしたのは、沖縄は辺野古基地前のゲートで、V字滑走路の増築反対を叫んでいる、移設反対派の皆さんの様子。以前YouTubeだったから、基地から外に出てくる車に向かって、罵詈雑言を浴びせて、挙げ句の果てに窓越しに手まで入れてくる、老人の様子などが映っていたけれど、あれとそっくり。諺に、「医者の不養生」というのがあるけれど、青山先生も自分自身の精神鑑定はしないんだろうねぇ。

色々な主義主張をする人達の中で、ちゃんと話し・説明として耳を傾けたくなる人もあれば、もう端から自分の主義主張を押しつけるだけの人もあります。そう言う、押しつけるだけの人達って、本当に判で押したように、言葉が汚い。使っている語句が汚い、使い方が汚い、話し方が汚い。別にデモとかでなくても、普通に仕事をしている場合でも、ミーティングなんかで一寸エキサイトしたときに出てくる言葉を聞いていると、何となく日頃のその人の行動や考え方まで分かる気がします。「名は体を表わす」と言うけれど、その人の使う言葉をは、心も表している気がする。特に、罵倒しか無い言葉って、結局ならも言えないから罵倒するだけなんですよね。「あー」とか「うー」みたいな、動物のうなり声に近いのかも。

同じように、その主義主張のため何か行動を起こす場合も、ちゃんとその行動目的を考えて、内容とか範囲を決めて一番効率的効果的な物にするのがベスト何だけど、結局そう言うものが無い人達の行動だと、判で押したように示威行為を目的に、自分達の力の大きさを誇示する行動になりがち。そこからは、訴求すべき主義主張は感じられず、単に自分達の正統性を数や巨大さで圧倒しようとしているだけですよね。商売だって、一寸気の利いたポップが有れば、その商品に興味も持って貰えるし、売り上げアップにも繋がるけれど、何か押しつけるような内容のポスターとか、兎に角売り場中そのポスターで埋めるみたいな、物量作戦ではなかなか消費者の興味を引くことは出来ず、逆に敬遠されてしまいます。そう言うことも理解せずに何かの目的に向かって行動をすると言うことは、結局その目的が行動の中で主張する「高尚な内容」ではなく、単に相手に対して敵対したいだけ、反対したいだけ、自分達の存在を誇示したいだけ、なんでしょうね。

一昔、二昔前なら、そう言うことで納得させられる人の数も多かったかもしれないけれど、今では誰でも必要な情報にアクセス出来る時代。それが、彼らの言葉や行動を歪ませていることも事実だけれど、自分で判断する人にとってより大きな情報にアクセス出来るようになっていることも事実。さらに忘れていけないことは、そのネットワークは、双方向だと言う事。聞いてお終いでは無く、疑問や矛盾を感じたら、誰でもがそれを問いかけることが出来るし、反論することが出来る。だから、あやふやなことは、いい加減事を声高に主張していると、直ぐに自分に返ってきてぼろが出る時代になってきています。そう言うことも理解して行動するなり発言しないと行けないのに、でも目立つ人達って、分かっているようで分からずに自分の狭い視野の中でしか生存していないんですよね。最も、そう言う人達を恰も自分達の代弁者として取り上げる、既存の大手マスコミが一番狡いのかもしれないけれど。


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