2015年12月25日

高浜原発裁判

昨日、高浜原発の稼働差し止め仮処分に対しての取消裁判の判決が出て、予想通り仮処分は取り消され、これから来年早々の再稼働へ向けて作業が進むことに。14:00に判決が出るというので、お昼過ぎの情報番組ではその様子を伝えていたんですが、その中でとあるコメンテーターが、「前回の再稼働取消の仮処分の時の裁判官と違う人が判断したんですよね」みたいな事を言っていた。どうも、停止の仮処分判断をした裁判官とは異なる、関西電力に有利になるように裁判官を選んだ、別にした、と言うようなことを言いたいような雰囲気。でも、前回の地裁での裁判では、元々曰く付きの裁判官が、しかも人事異動が決まっていたのに判決まで担当し(それはそれでルールとして可能であるなら仕方ないけれど)て判決を出したものだけれど、その裁判官が担当するように何度も訴訟を出したり引っ込めたりしていた原告側の態度は、かなり意図的なものだと思うのだけれど。そう言うことを知ってか知らずか、昨日の判決は国や関西電力が再稼働を何としても進めるために、無理矢理仮処分を棄却させたみたいなニュアンスで話をしていたのは、一寸問題では。

もう一つ、いつも変だと思うのは、今回の裁判では原告側が関西電力で、被告は仮処分判決が出た裁判の原告、つまり反対派の人達だと思うのだけれど、その被告側が「司法は死んだ」みたいな上りを掲げて裁判所前の報道陣に写真を取らせる、いつものパフオーマンスをしているわけですが、あれもいい加減止めれば。自分達に次ごうが良い判決がでれば「司法は正しい」と持ち上げ、逆に気に入らない判決が出れば「司法は死んだ」と非難する、取ってもご都合主義のパフォーマンスにしか見えず、その判決の意味が重要であったとしても、凄く安っぽく感じてしまう。特に、前日から準備したと思われる綺麗に印刷されたのぼりとか見てしまうと、ほんとその準備だけで無く、メディアの前に駆け出す練習もしてきたんじゃ無いかと、白々しく感じてしまう。以前、あのパフォーマンスは、何かの裁判の時にその判決のうれしさなりを端的に表現するために「勝訴」というビラを出したのが始まりとか言う話を聞いた記憶があるけれど、あれって弁護士が事前に可能性のありそうな判決を予想して、準備しておくらしいですね。つまり、自分達に都合の良い判決ならまだしも、敗訴するような場合には最初から「司法は死んだ」とか「国民無視の犯罪」みたいな事を書いて満足しているのかと思うと、一寸怖い気も。凄く、司法を安売りしている気がする。

最近あった、隣の韓国の裁判とは違って、まだ日本の裁判所はまともな方だと思うけれど、それでも裁判官によってかなり疑問符を感じる判決が出るときもあり、それはそれで人間が担当する仕事なのだから仕方ないとは思うけれど、結局は自己満足のために多大な社会資源や時間が浪費されていくことが本当良い事なのか疑問。まぁ、それも社会が進化していくために必要な事なのかもしれないけれど。

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