2015年9月4日

繋いでどうなる

PCWatch、山田祥平氏のコラムから、IoTに関して。タイトルの「繋ぐことよりも繋いで何をするかが問題だ」が全てだと思うけれど、IoTを例に出さなくても、今の時代は例えばLINEとかFacebookやTwitterとか、ユーザー単位では「綱かっている」世界が構築されています。SNSの登場で、良くも悪くもネットワーク時代は進んでいくわけだけど、IoTが登場してくる時代がそれまでの時代と異なるのは、それまでは「ユーザー」単位でネットワークが拡張されてきた物が、IoTになるとユーザーが居ない、言ってみれば「無機物の端末」が増えてくると言う事。例えばネット接続されたカメラ何て言うのは、今では普通に利用しているけれど、昔ならある人が撮影した写真やビデオを「転送する」という行為があって初めてその内容を見ることが出来たわけで、そこにはデータ転送する時に加工することもあるだろうし、もしかしたら送らないという選択肢もあるかもしれない。でも今のネットカメラは、先ず生のデータを送り、その後でどうしようか考えるわけですよね。

少し大げさな言い方になるけれど、それまでは「ユーザー」という「知性」が関わっていたものが、IoTの時代には、そう言うものが無い「無機物」によるデータ配信が始まると言う新しいレイヤーが誕生することだと思っています。それは、ネット世界で情報の裾野が一気に拡大するというメリットでもあるけれど、これまでの余話うに明らかにノイズと分かる物とは異なる優位性があるかもしれない無秩序な情報が一気に氾濫する可能性もあるわけで、ますますデータの受け手であるユーザーの能力が要求されることになるんじゃ無いかと。勿論、今のセキュリティフィルターとか嗜好に合わせた検索機能等、ノイズや余分な情報をスクリーニングして選別する機能もあるけれど、多分増加する速度には追いつけないのでは。

これって、多分自分のテレビ小の傾向と同じで、多チャンネル化して色々な種類のコンテンツがテレビで配信されるようになり、誰でもがどんなコンテンツでも視聴できる時代。じゃあ、視聴者はどの様にそのコンテンツを利用するかというと、多分どんどん自分の好みの分野のコンテンツに集約していくんじゃ無いかと思うわけです。私だったらフットボールとスタトレと、とか(笑)。それって情報の世界では、凄く視野が狭くなるわけで、娯楽の分野ならまだ良いけれど、その状態で何か決定する判断すると言う状態になった時に、自分では正しいと思っていることが、実は第三者から見てみると凄く偏った考えになるわけで、そう言うことが知らず知らずのうちに起こる可能性もあります。

多分これからの社会は、良くも悪くも色々な物がネットに自然に接続していく時代になるわけで、IoTと言う言葉の寿命は短いのでは無いかと。デスクトップ全盛の時代にノートブックパソコンは「モバイル」と言われていたけれど、今の時代「パソコン」と言えばノートブックやタブレットが主流で、逆にわざわざ「デスクトップ」と言わないといけないくらい。さらに言うと、そういう風に無意識に繋がっている時代になれば、「繋がったからどうする」という意識も段々薄くなると思うんですよね。問題なのは、今では一人が一つ以上のスマホやパソコンを利用する時代になり、そう言う環境があっと言う間に生まれて成長して透過していくということ。そうなると「繋いで何をする」という意識をスキップして「繋いで何をした」という結果だけが重要になるような気がします。よく考えれば、例えばネットファンディングみたいな無意識のうちに大きなムーブメントを作る事が出来る半面、一気に情報に流されることもあるわけで、そう言う意味でネットワークリテラシー(network literacy)なるのは、以前は実社会的な礼儀やマナーであった物が、自分の中でフィルターを作り吟味するというさらに上位のスキルが要求される時代になってきたと言うことでもあるんでしょうね。

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