2015年9月15日

「有識者」という免罪符

産経新聞の記事から、まだやってるのね国会前のデモって。で、記事にも登場する「有識者」なんですが、その意味を調べてみると「学問が有り、見識が高い人」と説明されています。「学問が有り」というのは、その人の専門分野なり研究分野で、それなりに評価されている、あるいは結果を残している人、と言う理解で良いと思うのですが、じゃぁ「見識」というのはどう説明するのかというので、再び調べてみると、「物事を深く見通し本質を見通す優れた判断力、ある考えに対しての確かな考えや意見」と説明されています。このデモに登場している「有識者」の皆さまは、確かに有名人なのは確かだけど、「学問が有り」という判断は一寸難しい。だって、「何々賞」とか何かの論文を書いている人では多分無いだろうと思われる人も含まれていますからね。で、物事を深く見通しているかと言われると、そう思われているから参加しているんだろうけど、でも記事にも書かれているような罵詈雑言を使う人が「優れた判断力」を有しているとは思えないんだけど。「確かな考えや意見」という意味では、本来はだれもが納得できる論理に通じた説明が出来ることだと思うんだけど、この人達は特定の考えに固執した「確かな考えや意見」と言った方が正しいのでは。

個人的にテレビのワイドショーとか情報番組の功罪だと思うんですが、その内容に対しての権威付けのために「有識者」なる人達を呼んで意見を言わせたりしますが、どう見てもその専門分野とは関係無いような人に専門的な意見を求めたりしているのはどうなんだろうか。結局テレビ側としては、下手に本物の有識者を登場させても、確かに説明は専門的だろうけど、視聴者が理解出来ない、あるいは番組のフォーマットなりタイムラインなりに合わない状態になるのが一番怖いんでしょうね。だから、その説明の内容寄りも番組にフィットする「有名人」が「有識者」と呼ばれて登場する。で、一度メディアに登場して「有識者」認定されると、それ以外の雑誌や新聞などの媒体でも重宝されて利用されて、それがどんどんループしていく、と。

今一寸意地悪な興味が有るのが、この安保法案は今週中に採決して成立させるか、あるいは衆議院に差し戻して最採決して成立するか、その方法は別にしてもほぼ成立することは確か。で、その成立後に、この人達はそれでも国会前デモを続けるのだろうか。今の彼らの行動には、少しも同調できないけれど、仮に成立後であっても将来何らかの方法でその法案を排気するような目標に向かってデモを継続するのであれば、それはそれで意味があるなと評価したいところ。でも、あれだけ激しかった60年安保闘争にしても、その後の70年安保闘争であっても、結局は一度決まってしまったことには新鮮味が無いのか、反対していた人達って雲散霧消してしまったように、そのまま空中分解するんだろうか。今の山本太郎見たいに、SEALDsの中から議員に立候補して当選する人も若しかしたら生まれるかもしれないけれど、でもやはり山本太郎同様、何か空回りして悪目立ちだけするんだろうなぁ。

同じ産経新聞に、そのデモ参加者のアンケート結果が掲載されていますが、共産党、社民党等の動員デモと言われてもおかしくないような結果。さらに記事の最後に、民主党の岡田代表が「野党が協力をしながら廃案に追い込む」と言ったようですが、どう言う手段で廃案にするつもりなんだろうか。議員数では絶対的に無理な状況で、実際に廃案にするとなると、与党が採決を躊躇するようなことを出さないとダメでしょう。でも、そんな様子は無いし、大体これまでの議論の内容を見ていると、例えば安保法制の欠点を突くと言うようなことも不発に終わっているわけですし。結局与党になる前に、何でもかんでも耳障りの良い事を言って、いざ政権を取ったら掌を返したあの光景しか浮かばないんだけど。政治の責任者ですらその程度なんだから、一般の「有識者」はいわんやおや、ですよね。

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