2015年9月1日

数に溺れて、数で返される

昨日も書いた国会前のデモ行動。確かに多くの人が集まり、安保法制に対しての危惧を表明したその行動は認める物の、余りのさば読み・吹かしすぎの参加者数の発表で、そのデモの信憑性すら疑われることになりつつあります。

産経新聞が試算したところでは、推定値は3万2400人。警察発表が3万3000人とのことなので、多分この辺りが正しい値なんでしょうね。昨日も書いたけれど、これで主宰者発表が「5万人」とでもしておけば、まだ信憑性も残るけれど、4倍近い「12万人」とか、SEALDsあたりは「35万人」とか言っているらしい。数字で桁数を数え間違えたのか? (笑)

確かに、数十人、数百人規模のデモと、万単位の人が集まるデモでは、説得力はその桁以上の差が生まれるでしょう。実際、この国会前の人出を見ても、多くの人が集まって居るのはよく分かる。でも、そこで根も葉もない数字を揚げていくことは、結局そこに集まった人達の意図を曲げることになるんじゃ無いのか。

一つ思ったのは、このデモを招集した責任者・責任団体って、全体を把握しておらず、単に人を集めてアジテートすることだけを考えていたんじゃ無いのかと言うこと。だから、それぞれ集まってきた集団から代替の数字だけを聞いて、さらに聴けない集団の分を適当に推定して、それで「12万人」なんていう事を言っているのでは無いかと言うこと。その場合、本当に10万人規模の人が集まろうが、今回のように3万人強の人が集まって居るのだろうと、結局どこにどれだけの人がいるのか把握していないのだから、何か突発的なことが発生した場合に絶対に対処できない自体になり、不幸なトラブルが生まれていたかも。国会前では車道に出ないようにバリケードが設置されていたけれど、厚くなっていた人達がそれを破って車道に流れ込んで交通も混乱したらしいけれど、結局彼らがやりたいことは単なる力による改変・示威行為で、それって彼ら自身が反対している安保法制に対して自らが正しいことを証明している港にしか見えない。

代替僅差で勝利しても「民意は示された」とまるで殆どの意思がそうであるかのようにいう事もあれば、大差で敗れたら「少数意見は尊重されなければならない」と言うし、どっちにしたって自分達の都合の用用にしか表明しないわけですからね。そう言う意味で、この橋下氏の「サザンのコンサート」発言は言い得て妙ですよね。あるいは先日の長渕剛の富士山コンサートでは10万人(実際はもう少し少ない?)集まったわけですから。今回彼らが「12万人」を言うのであれば、日本国民が選挙で選んだ国会議員が、その中で多数を占める与党議員が決めている「法律」は、まさに政党且つ多数の意見なわけで、数の主張では負けなわけですからね。数では無く、その内容でちゃんと反論しないと、何の説得力も生まれないでしょうね。

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