2015年6月19日

憲法学者の意見

集団的自衛権に関して、多くの憲法学者が「憲法違反」と主張していて、だからこの法案は廃棄すべきと野党が言っているわけですが、その内容の成否以前に、「〇〇が言っているから」というのは理由になるんだろうか。いゃ、例えば経済学者の多くが「財政安定のために増税すべき」と言ったら、議員の皆さんは声を揃えて「経済学者が言っているから増税すべき」と言うのだろうか。本来懸命な議員であれば、本当にその増税をして収益を増やせるのか、増やすべきなのか、あるいは増税せずとも問題解決する方法があるのでは無いか、あるいはその問題解決にならなくてももっと大きな問題発生を回避するために増税はすべきで無い、等色々な意見が出てくるはずで、その中で一番正しいと思われる方法を選択すべきですよね。

憲法と経済では立場が異なると言われるかもしれないけれど、憲法だって70年前に作られてから、先ずは世界情勢は大きく変わっているわけです。大体憲法自体が前文で世界が平和であることを前提にして、だから日本も同様に平和を訴求すると言っているけれど、現実問題として世界はそんなに平和では無いし、日本の直ぐお隣でだって騒がしい事が幾らでもあるわけです。しっかりした地面だと思って自宅を新築したら、地震のために発生した液状化現象で家が沈降してしまい、新たに家を建て直すときには、今度は固い地面では無く軟弱な地面という前提で作り直すでしょう。だから、あくまで今の憲法の解釈云々で議論するのであれば、確かに憲法学者の考え方意見は重要だと思うけれど、今必要なのは国際情勢や国内状況などを総合的に考えたときに何が必要かという、どちらかと言えば国際政治学とか地政学みたいな考えで有り、その上でその時に必要な手段とか方法を提供するあるいは日本として準備するときに、じゃぁどういうもんだいや障害があってそれを解決するにはどうしたら良いのか、と言う事を考えないといけないんじゃないだろうか。

良く戦争と言うテーマが話題になると、ある思想の人達は「日本が戦争をする・出来る国にしてはいけない」という言い方をします。ここで言う「日本が戦争をする」というのは、日本が相手国や他国の領地に自らの目的達成のために攻め込む事を言うわけですよね。そう言うことは、今の日本人で欲する人っていうのは殆ど居ないと思う。逆に日本にとって問題なのは「日本に戦争が仕掛けられない準備をする」と言うことじゃ無いだろうか。韓国は竹島を占拠しているばかりで無く、やれ対馬だ九州だ言ってきます。中国にしても、尖閣諸島は勿論、沖縄は琉球王国だから元々は中国と言う言い方をしてきます。ロシアにしても、北方四島はロシア領だと言うし、虎視眈々と狙っている勢力が日本の周りに居るわけで、それを近づけない手段を日本が持つことは「自衛」という意味で問題無いでしょう。仮にそう言う場所で何かあったときに、日本の自衛隊なりが出て対戦することになったとしても、それは「個別的自衛権」の範囲と言えます。ただ、その時に、日本の持っている力だけで、あるいは戦力だけで、相手を撃退することが出来るかというのが最大の問題。そこで「困ったときにはお互い様」という考えが生まれるのは、これは自然なことだと思います。その為に考えられるリスクやコストまで含めて、今何が出来て何が出来なくて、でも何が必要だからどうしたらよいのか、と言う事を国会では議論しなきゃいけないのでは。それを「憲法違反」という、あたかも最もらしい事だけで回避しようとしているのは、野党が怠慢だと思う。

仮に憲法違反と言うのであれば、一票の平等性に関しては来年の参議院選挙が有るからもっと優先順位を上げないといけないわけだし、さらに共産党は憲法で保障されている天皇の象徴性に関して否定しているわけだから、「憲法違反の政党」になってしまうけれど、それは良いのだろうか。あるいは外国人参政権に関しても、憲法での国民主権を考えたら許されないことであるし。本来なら憲法改正を考えるべきだと思うけれど、その改正手段に関しても反対が続いているわけで、そうなると憲法解釈を時代に合わせて変更する、拡大する、修正するという方法でしか対応出来ないわけですよね。その対応策を考えるのが立法府(=国会)の責任で有り、その対応策を定められたルールから逸脱しないように運用するのが行政府(=政府)の責任であると思うわけです。そう言うことを無視して、あるいは考えずに「あの場合はどうで、この場合はどうで」という話を進めても、今想定している状況と異なる条件が将来生まれる可能性はほぼ100%あるわけで、そんなことは無意味な気がする。ある意味、全てのパラレルワールドを決定せよ、と言われているわけですから。

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