PCWatch、山田祥平氏のコラムから「大画面・高解像度時代のスクローリング」について。10年くらい前までは、少なくともPCの世界においては解像度と画面サイズというのは比例していたもので、高解像度を利用するのであれば画面サイズは15"とか17"とか大きくなるし、小型の10"とか12"というは標準解像度(XGAとか)で使うと言うのが「常識」。AppleのMacはこれを忠実に継承していて、dpiは画面サイズに関わらず一定だったんですよね。だから、Macの世界では解像度というのはあまり意味が無くて、画面サイズが幾つかで自動的に決まる物だった。
それが10年くらい前からでしょうか、どんどん高精細パネルが登場してきて、今では5"クラスのスマートホンの解像度が、ちょっと前のハイレゾPCを超えている時代ですからね。液晶技術の加速具合は、CPUの高速化と同じかそれ以上かも。残念ながらWindowsの世界は、この解像度進化の世界に未だに追いつけず、Windows10でやっと一寸お茶を濁す程度になったけれど、Macに比べると月とすっぽん。しかもWindows10では、モバイルからデスクトップまでいろいろなSKUが用意されるみたいだけど、本当に使えるのかと一寸疑問。
閑話休題。ディスプレーの高解像度化と共に、コンテンツも高解像度化が進んでいて、それはユーザーとしては魅力が増加しているけれど、ちゃんと見ようと思うとより大きな高解像度の画面が必要だし、当然高速高機能なCPU/GPUも必要になるわけです。PCの世界では息切れしそうなサイトがあるのに、スマホなんか大丈夫だろうか。いゃ、まだスマホはスマホ用のデータストリームを使えるけれど、タブレットなんか厳しいかも。
スケーリングを上手く使えば、オリジナル画面を縮小表示する事も可能なんでしょうけど、なかなか中途半端なスケーリングでは、ディザリングが目立ったり、不自然なイメージになったりしてあまり好ましくありません。50%とか区切りのようスケーリングでは、今度は流石に高解像度の画面が泣いてしまうし。じゃぁ、画面サイズに合わせて表示しようとすると、今度ははみ出してしまうことがあるわけで、そうなると左右上下にスクローリングしないといけない。コラムに書かれているけれど、横書きの文章を縦にスクロールするのは自然な感じがしますが、これを書籍のように横にスクロールするとちょっと疲れる。それでも、それがページ単位ならまだいいんですが。日本語の縦書きは、逆に横スクロールが読みやすいわけで、どちらにしても視点が一方向に移動する~何とか追随できるわけです。
画像データなんかだと、左右上下にスクロールが必要になることも多々あり、結構画像編集するときは拡大縮小しながら部分部分を編集するんですが、それは編集だからまだ我慢できるけれど、単純に「見る」だけだと結構疲れます。技術的にそんなに難しくないと思うんだけど、画面からはみ出る様な場合は、先ずは縮小スケーリングで画面に全体を納めて、その中で必要な部分をクロースアップさせ、例えばその部分が新聞の記事のような場合には段落毎にスクロールするとかといった、複合的な操作が必要になるんじゃないだろうか。談順にどちらかだけで解決出来るような時代ではないだろうなと、自分自身の経験からも感じます。そう言う意味で、タブレット端末のタッチ操作って、結構それに近い動作が可能になると思うんですが、どうもメジャーにはなりそうも無いですね。最近の周りの様子を見ると、スクロールして使う人が殆どのように思います。この辺り、メーカー側とかメディア側からもっと訴求しても良いんじゃ無いかと思うんだけど。あるいは、ユーザー自身が自ら発見しないと、なかなか標準というものは生まれないのかも。
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