2015年5月23日

時の流れを振り返りつつ

「ポツダム宣言」が検索キーワードトップに躍り出て、日本共産党はしたり顔らしいですけど、歴史の話を特定の一点だけを見て評価なり批評するのって、凄く危険じゃ無いかと思うわけです。ポツダム宣言にしても、その瞬間では日本の戦後処理を連合国側が最後通牒を作成したと言う話だと思うけれど、じゃぁそれって後の世界でどの様な影響なり効果を作り出したのかという事まで考えると、考え方が凄く違ってくると思うんですよね。ポツダム宣言だって、それによって農地解放が行われて、それまで共産主義が謳っていた弱小農家の開放という物が実現されてしまって、共産党の存在意義が薄れてしまったわけです。つまり、共産党から見たら、自分達のお株を取られたわけで、それでも彼らは納得するのだろうか。横道に逸れると、自分の実家も戦争以前はかなりの土地持ちであったのが、戦後の農地解放で殆どを接収されたと亡くなった曾祖父とか曾祖父に子供の頃に帰化された記憶があるんですが、結局は共産主義を持ち込まなくても実現できると言う事を証明してしまったという言い方も出来るのでは。

戦後の日本についても、このポツダム宣言だけで何か評価できるわけではなくて、カイロ宣言とかサンフランシスコ条約、さらにはその後の日本の復興など色々なことが絡み合って現在が存在しているわけです。そう言うことも考えずに、ある一瞬だけを切り出して何か言うのって凄く誤解を招く行為だと思うんですよね。例えば何か事件があって、その犯人を裁判に掛けるとき、その行為だけで判断はしませんよね。その生い立ちだとか、周りの環境だとか、そう言うことを勘案して、ではその人の罪は将来の更生機会とバランスを取るとどうなるのか、と言う判断をするわけです。共産党の言い方というのは、そう言うことを無視して、その行為だけで判断せよと言っているように聞こえるわけです。そう言う危険性に、言っている本人達は気がついていないんだろうけど。

放送されている国会中継とか見ていると、野党にしても暗黙のうちに集団的自衛権に関しては仕方ないと思っていて、後はその効力・適用範囲にどれだけ制限を掛けるかという議論をしてるように見えます。それならそれで、もっと身のある議論をして欲しいと思うわけです。あまり、架空の話をして、それらを前提に結論を出したら、結局一番困るのは前線に行く自衛隊で有り、それによって何か影響を受ける国民なわけですから。過去を顧みることは大切だとは思うけれど、今やることは現在をどうするのか、みらいがどうなるのかと言う視点でもっと議論を進めるべきじゃ無いだろうか。そう言う意味で、与党にしても野党にしても、空回りばかりして時間を浪費しているようにしか見えないですよね。

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