2015年3月24日

メディア対応カード

チェニジアでの発砲事件は本当に痛ましい事件で、亡くなられた方々には本当に残念な気持ちしか浮かびません。その事件に遭遇した自衛隊医官の女性が、事件直後に病院で本人の認識しないままにメデイア取材を受けたり、朝日新聞記者の執拗な取材要求の声におびえたという手記を発表。その中では、朝日新聞記者の怒号におびえたという記述が有り、それによって朝日新聞が非難されているわけですが、でも其れ以前にもNHK、New York Times、読売新聞の取材も、事件直後の混乱しているときに受けていたことを手記に書いています。

メデイアとしては、事件直後の状況を報道するためにも、会話可能であろう彼女にインタビューするのは仕事としては正しいのかもしれないけれど、実際に銃撃に遭遇して怪我をしさらには自分の母親の安否も分からない状況で、どう言う話をメディアは期待しているのでしょうかねぇ。そんな状況で事件の正確な様子が伝わるわけでも無いし、大体自分が怪我をして入院しているのになんで他人が押しかけてくるんでしょうね。

こういう事件でいつも感じるのは、ある意味「メディアの横暴」とでも言うべき、取材至上主義、取材優先主義的行動。今回も同じような気持ちが沸いてきて、ふと思ったのが「臓器提供カード」みたいな物を作ったらどうかという事。自分に何かあったときに、自分の意思がはっきりしない、混乱しているときには「私はメデイアに対してこういう対応をします・対応しません」という事を明記したカード。「入院中は対応しません」とか「弁護士を通してのみ対応」とか、そう言うことを明記した物を作ったらどうだろうか。勿論、誰でもそんなメディア対応が必要な事件に簡単に遭遇するわけじゃ無いけれど、臓器カードだって自分がいつ事故に遭遇して植物状態になるか分からないけれど事前に園「万一」に備えて準備しておくものですからね。

近親者とか関係者も情報が必要だろうから、被害者・被災者を取材してその状況を報道するという事も必要だとは思うけれど、それって事件・事故に遭遇した彼らにさらに追い打ちを掛ける行為じゃ無いのかといつも思います。それよりも先ずは事件の背景なり犯人の情報なりさらには安全情報なり、優先度はそっちの方が高いわけだから、そちらを取材して報道して欲しいですよね。今回は朝日新聞がやり玉に挙がっているけれど、メディア全体の問題と認識して欲しいですよね。

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