2015年2月9日

メディアの矜持

今朝の産経新聞サイトに並んでリンクが掲載されていた二つの記事。一つは元朝日新聞記者・植村氏の講演の話。もう一つは、先の衆議院選挙に関連して報道機関への自民党・共産党の公正・公平な報道要請について。一件関係なさそうな二つの記事ですが、続けて読んでみて感じるのは、メディアのメディアとしての矜持というか、それこそ「報道の自由」を担保する、それを読者や視聴者が認める・納得できる理由が明示されているのかということ。

植村氏の現在の職場である大学に対してや、本人以外の家族に対しての誹謗中傷行為は問題外の行為ではあるけれど、植村氏本人に対しては、当時問題となっている記事を取材して掲載した責任があるわけだから、疑念や不審があるのであればメディア人として回答するのが本来の態度だと思うんですよね。勿論、どう言う理由か分からないけれど、自分は正しいと考えるならそれを主張すれば良いけれど、その手段として170人もの弁護士を要する裁判だとか、特定の参加者対象の講演会とか、それは筋が違うんじゃないの。メディアの世界で記者(=ジャーナリスト)ととして活動した内容に不審を指摘されて居るのだから、ジャーナリストとしてそれに対して記事で反論するのが本来のやり方では。別に新聞とか雑氏に掲載しなくても、今では個人的にサイトを公開することも簡単にできるわけだし。そう言うこともせずに、何か法的手段に訴えるというのは、本人以外に対しての攻撃に対応するためという部分は理解出来るものの、何か本人自身も自らを保身することだけが目的で、捏造とか誤報に対しての反論になっていない気がする。

そう言う意味で、もう一つの報道に対してのメディアの姿勢に関しても、その趣旨なり意図に関してちゃんと説明できないというのは、メディアとしての「過剰演出」とも言うべき行為じゃ無いだろうか。まぁ、NHKはどうかと欧もけれど、一般の新聞社とかテレビ局は、とは言っても民間企業なわけで、それなりに販売部数や視聴率を上げてお金をもらわないといけないわけで、そう言う意味でその企業の独自色=バイアスが生まれるのは仕方ないと思います。ただ、それにも限度があるわけで、かつ「公共性」を自ら声高に言う割には、私企業的な部分には知らない振りする「メディア」って、自分は悪くないと言いつつ、具体的な証明は自分からせずに他人に丸投げする元記者と同じように感じられます。メディアが自らの判断で正しいと思って実行したのならその根拠をちゃんと説明するべきだし、どう言う理由であれ問題であったり間違っていたのであれば、その原因とそうなった理由は説明してお詫びすべきだと思う。それが普通の企業の姿勢だし、それよりも厳しい立場・公共性が要求されるメディアは尚更。さらに言えば、私企業出すらなく国民から強制的に料金を徴収しているNHKは、疑いが持たれること自体が問題だと思う。勿論、全ての視聴者を納得されられる、満足させられる番組作りは無理だと思うけれど、その理由は納得できるもので無いと行けないはずですよね。

どちらの記事を読んでも感じるのは、結局正義の味方のような立場を印象づけているメディアだって、そのメディアという力を時には乱用気味に利用する「権力者(権力社)」の一つでしかないんだなという事ですね。権力を持ち、それを恣意的に利用するのは民衆の敵でもあるけれど、そのメディアも安閑としていられないのは、SNS等のパーソナルメディアの発達で、まだ時間は掛かるかもしれないけれど、彼らの立場を脅かす時代になるのもそんなに遠くないかもしれない。

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